プレーンスケープ トーメント 非公式小説

映し鏡の迷路

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 不ぞろいな球形の部屋の中、死体置台スラブの上で目を覚ました。部屋は多面的な灰色の金属物質でできていて、赤、紫、青の細糸が壁を飾っている。

 死体置台スラブから体を上げると、三人の人物が見えた。私には彼らが分かった。彼らは私だったからだ。

 右側にいる男は私に似ているが、尋常ではない影響力を帯びている。私は彼を、ダイアナーラが残してくれた感覚石の中で見たことがあり、心の中で「実際的な私」と呼んでいた。

 真正面にいる人物の顔にも類似点があるが、見定めるのが難しかった。殴られることを常に恐れているかのように、背中を丸めているからだ。私を油断なく見つめ、視線を向けるとしゅうしゅうと息をもらす。私を絞め殺したがっているかのように、両手を握りしめている。腕は傷だらけでふしくれだち、酸の川に漬けたかのようだ—そして左腕は、文字通り糸でつながっているように見える。私はこの私を、私や他の私、“体泥棒”のために残された感覚石の罠の中で見たことがある。私は彼を「偏執的な私」と名付けていた。

 左側にいる男も私に似ているが、その顔は何か……穏やかだ。私の視線に気づいた彼はわずかに微笑み、賛同するかのようにうなずいた。この私のことは知らないはずだが、彼の様子から、心の中で「善良な私」と呼ぶことにした。

「彼が目覚めた」

 善良な私が言った。

「ようやくか」

 実際的な私が怒鳴った。

「こいつが起き上がるのを待っているあいだに、また死んでしまうかと思ったぞ」

 偏執的な私は話す前に、私たち全員を見回した。

「おそらく……おそらくお前は死ぬだろう。俺がことを忘れるな、、お前らとも……」

「私に話しかけるときは、気をつけることだ」

 実際的な私が激しく言い返した。

「狂った形骸め。彼は幸運にも、お前が次元界じゅうにまき散らした罠を越えてここまでたどり着いた。私に、お前を苦しみから解放させてやる機会がありさえすれば、私は—」

 善良な私がさえぎった。

「二人とも、黙るんだ! その議論は後にして、彼の無事を確認しよう」

「お……お前たちは誰だ?」

 私は尋ねた。二人の私については理解していたが、唇が心の内に追いついていなかった。

「地獄にかけて、彼は記憶を失っている! 忌々しい! 役立たずだ!」

 私の言葉に実際的な私が激怒した。いつも通り彼が最初に考えるのは、他人が道具として役に立つかどうかなのだ。

「落ち着け。我々がそうであったように、彼は混乱しているだけだ。状況を確認する時間を与えるんだ」

 善良な私が落ち着いて答えた。

「お前らはだ……を着ている……、返しやがれ!」

 偏執的な私が荒々しく我々をにらみつける。実際的な私が振り向き、彼に怒りをぶつけた。

「お前のわめきに対する我慢も限界だ! 黙れ、さもなくば—」

 もう一度、善良な私が仲裁人として介入した。

「こんな論争は何の役にも立たない! 彼に構わず、そっとしておくんだ」

 実際的な私は状況のコントロールを諦めたくないようで、彼のほうを向いた。

「時はもはや我々の味方ではない。敵が間違いなく我々を捜索している時に、これ以上ここに立ち尽くし、時間を浪費するつもりはない。彼が目覚めるまで、もう十分に待ったのだ。私が彼と話す」

 実際的な私が私のほうを向いた。彼の目が私を注意深く眺める。私が彼を調べているあいだ、彼もまた私を調べているように感じた。そして彼は口を開いた。

「ついに……ここまで来たか」

「お前は誰だ?」

「お前や他の誰にも、名を明かすつもりはない」

 この男の声は私のように粗く、不思議と耳の中で響いた。

「『私が誰か』については、自分自身に訊くべきだろう—お前は一人なのだからな。お前は私が残した手がかりによって、ここに来たのだ」

「我々は—我々は別々の私なのか? どうしてそんなことがあり得るんだ?」

 彼はしばらく沈黙し、その表情を侮蔑へと変えた。

「お前についてことがあるとすれば、その数え切れないほどの質問だ—何にでも意味と答えを求める、その死に物狂いの手探りだ」

 この男の声は、ハチェットのようだ。表情に怒りがちらついている。

「質問の時間は終わりだ。今、お前が私の話をのだ。私は初めてこの〈要塞〉に侵入し、ここで我々を待つものが、どういうわけか私を打倒した。二度目はない」

「この二人は?」

「別の私—我々自身の投影だ。お前に対処した後、彼らとも融合する」

 彼は、私が目覚めた時にわめいていた猫背の私を一瞥いちべつした。

「あるいは、拒むなら殺す。大したことではない。彼らは必要ないからな」

「お前は……ここに潜んでいる何かと戦うつもりのように聞こえるが」

 男は怪訝けげんな顔をして、私を検分した。

「もちろんだ。それが、今我々が話している唯一の理由だ。お前は殻になる必要がある—だがお前の心は、心でなければならない。理解したか?」

「私に取り憑くつもりか?」

「そうだ」

 彼は棘が突き出た壁を一瞥いちべつし、そして私に視線を戻した。

「バラバラでは、この場所を去ることができない。出ることができるのは、一人だけだ」

「どうやって一人になるんだ?」

「お前は私に、意志を明け渡さなければならない—お前の知識と技術をな。その生で集めたどんな些細なものも、役に立つ可能性がある」

 彼は再び私を品定めした。

「それは最終的に私の力の断片になるに過ぎないが、使い道もあるだろう」

「私に融合したらどうだ?」

「お前に?」

 彼は吠えるかのように短く笑った。

「得るものがない。お前は私の生の、ほんのわずかを生きたに過ぎない。そんな新参者に、意志を委ねるつもりはない」

「しかし、お前は以前ここに来て……敗れたんだろう」

 男は顔をしかめた。

「不意打ちを受けたのだ。そして到着と同時に仲間と離れるなど、予期していなかった……その後起きたのは……混乱だ」

「なら、お前に自分を明け渡したとして、また失敗する可能性は?」

「その可能性は低い。成し遂げるために必要な知識を持っているのは、私だけだ—この瞬間は、数世紀にもわたる計画の集大成なのだ。我々がここに来るまで、多くの者たちが苦しみ、死んだ……彼らの犠牲を無駄にしてはならない」

 私はその最後の言葉に狼狽ろうばいした—それは演説のようで、言葉の背後にまるで情熱がなかったのだ。

「お前はシュラクトロールでダッコンを救った。ヴェイロアを幽閉した。そしてダイアナーラを死に導いた」

 男の目が細まった。

「それが何だ? すべて目的があってのことだ」

「お前はダッコンに、ゼルシモンの不壊ふえの輪を与えた。なぜだ?」

不壊ふえの輪? あの嘘の寄せ集めのことか? ああ、一週間ででっち上げた—彼が自分自身を疑うのをやめさせるのに、必要だったからな」

「お前が? だがお前は彼に—」

「おそらく真実も混ざっていただろう—知ったことではないが。退屈な書き物だ。だが、彼に信仰を与えるには十分だった」

 彼は私の表情に、なぜダッコンを救ったのか、という当惑を見たに違いない。

「お前の無知には驚かされる」

 男は疑わしげだ。

「ひょっとして、彼が携えているものを知らないのか? 彼の形作られる刃を。あのような道具は、適切に使えば、多元宇宙さえも殺すことができるのだ……」

 男は思いにふけり、そして嫌悪に顔をゆがませた。

「だが明らかに、私たちが〈要塞〉に到着した時に、あのギスははぐれた。あの刃を利用することはできなかった」

 男は顔をしかめた。

「残念だ」

「イグナスに秘技を教えたのもお前だな?」

「イグナス?」

 男は私を見つめ、眉をひそめた。

「名前か? 一体誰のことを言っているんだ?」

 当然だと私は気づいた。この私は50年以上前にのだ。イグナスが秘技を教えられたのは、もっと最近のことだ。私を分裂させここに連れてきた罠から、まだ完全に回復していないようだ。

「ヴェイロアを閉じこめた目的は?」

 男はうんざりだとでもいうように頭を振った。

「ヴェイロアは……厄介になりつつあった」

 彼は真面目くさった笑みを浮かべた。

慈殺者じさつしゃの犬どもは、“正義”を求めて次元界じゅうから狩りに来る—そしてヴェイロアは、特にしつこい猟犬だった」

 彼の声が、わずかに下がった。

「そして私の趣味に合わないほど、正義に近すぎた」

「なぜ我々を追っていたんだ?」

「おお、理由は無数にあるぞ。いくつかは私が原因で—他のものは、他の私のせいだ」

 彼は偏執的な私をちらりと見た。

「壊れた心を持つ私によって汚された生が、山ほどもあった。我々の一部が……問題を引き起こした。解決策はあるがな」

「彼は脅威だったのか?」

「おお、そうだ—そうでなければ、単に殺している」

 彼はうなずいた。

「彼は正義自体と何らかのつながりがあった。それが、我々のような不死さえ超える力を与えていた」

 男はわずかに微笑んだ。

「特に我々の不正が大きいほど……そしてそれが極悪であるほどに」

「なぜダイアナーラは死ななければならなかったんだ?」

「ダイアナーラか? あの娘は自分の中に、少しだけ次元界の感覚を持っていた。それが必要だったのだ。いいか、塵人ちりびとも正しいことはある—情熱を感じすぎれば、手放さないよう生にしがみつくだろう。それはダイアナーラもだ—私が彼女に望んだ通りにな」

 その言葉に偏執的な私が割りこんだ。

—あのが?!」

 猫背の男の目に怒りが沸き起こり、口からつばが飛ぶ。

「あいつは何年も俺を、つきまとって、憎んで、?!」

 実際的な私は、わめく男をほとんど見ることもせず、冷笑しただけだった。

「馬鹿げたことで私をとがめるのだな」

 彼は私に向き直った。

「悪意があったわけではない—面倒ではあったがな。ただ〈要塞〉にたどり着いたときに、留まるつもりがなかっただけだ。〈要塞〉に入り、彼女を犠牲にして、〈要塞〉から出るつもりだっただけだ」

「なぜそんな恐ろしいことを?」

 善良な私が優しく、心を痛めた様子で質問した。たとえ私の声であっても、同じ痛みが込められていただろう。

「この負の物質界で、私の眼となる者が必要だったのだ。斥候として仕え、殺人鬼を見つけ出そうとする者が。ここで長く生き残ることができるのは、死者だけだ—彼女ではない何かになるために、ダイアナーラは犠牲にならなければならなかった。きわどかったが、上手くいった—彼女はお前の助けになっただろう?」

「殺す必要などなかっただろう」

 彼はしばらく黙って私を見つめ、そして冷笑を取り戻した。

「だからお前は、殺人鬼に敗れるのだ。お前は。そしてお前には、が分かっていない」

「私がだと?! お前は見えない敵を倒すために“壮大な”計画を立て、完膚なきまでにやられ、そしてそのせいで哀れな少女が殺されたんだ。お前が最初にここで仕事を終わらせていれば、こんなことは問題にもならなかったんだぞ!」

「私に講釈を垂れようというのか?! 女たちは常に我々の道を歩いた—ダイアナーラだろうと、ラヴェルだろうと、他の女であろうと、彼女たちは苦しみ、そしてそれは常にだった。私が言えば、ダイアナーラは私のために死んだだろう。これは罪ではない」

 もっと彼に怒鳴りたかったが、そんなことをしても意味はない。私が見ているのは、彼の幽霊だ。彼の行為は過去になされ、変えることはできない。

「ザカリアのことを話してくれ」

「あの射手か? 老いた酒浸りのザカリアは、その“眼”で私には見えないものを見ることができた—そしてそれを、矢で射ることも」

「それで?」

「この〈要塞〉に踏みこんだ時、私はある意味で盲目だった—殺人鬼が何者か分からず、敵を視認できない場合にそなえて、見えないものが見える者が必要だった」

 彼は鼻を鳴らした。

「だがザカリアはあまりにも早く死に、結局何の役にも立たなかった」

「シギルの下に墓を建てたのはお前だな? 罠を仕掛けた墓を」

「ほとんど忘れかけていたが—そうだ、なんと無駄だったことか」

 彼は苛立っているようだ。

「明らかに、は機能しなかった。多くの血と硬貨が費やされたというのに」

「無意味だった!」

 偏執的な私が不規則に笑いはじめた。しかしそれは、狂気ではなく歓喜によるものだ。

「あの子供だましを破るのはだったぞ。あれを見つけて……俺がやった。よりやった」

 実際的な私が彼に眉をひそめた。彼は他の者を攻撃することを、かろうじて抑えているように見える。

「お前が責任を取るべきは、あるがな……」

 彼は私のほうを向いた。

「だが、問題ではないだろう。墓の罠のすぐ後に、私はこれ以上殺人鬼があらわれるのを待つのではなく、こちらから攻めこむことに決めたのだ」

「モーテを〈髑髏の柱〉から引き剥がしたのもお前か?」

「あいつは、まだのか?」

 彼はしばらく信じられない様子で見つめ、そして笑いはじめた。

「ハッ! あのぶっし髑髏は、まるで信用できなかった—情報などないのにあると主張し、それで〈髑髏の柱〉から引き剥がすという苦悩を経験しなければならず、一度自由になれば

 そして彼はあざ笑った。

「必要なことを喋らせるために、機嫌を取る必要さえあった」

「無知を装う?」

「おお、そうだ」

 男は微笑んだ。

「一度嘘をつけば、いつまでも嘘つきだ。だが私に笑いをくれるには、あの髑髏は心の強さが足りなかった」

「背中のタトゥーもお前のものか? 〈葬儀場〉で目覚めた時に読んだものだ」

「あの指示か?」

 彼は苛立たしげにうなずいた。

「もちろんだ—私がここでしくじり、記憶を失う可能性があることは分かっていた。未来の私が、何らかの……案内を受けられるようにしたかった。だから背中に指示を彫ったのようなものは……」

 彼は自分自身に腹を立てているかのように、うなり声を上げた。

「いとも簡単に失われるからな」

「だが、指示は曖昧なものだった……」

「愚かなのか?」

 彼は憤慨したようだ。

「指示は曖昧であるのだ—我々に何が起きているのかはっきり説明することはできない。だから道しるべを残した。塵人ちりびとが読んだらどうなっていた? もしくはより泡々あわあわな者が読んだら? 生き埋めか火葬にされていたかもしれないと、いつになったら気づくんだ?」

地下墓地カタコンベから青銅球を手に入れるようファロドに頼んだのもお前か?」

「ファロド?」

 彼はしばらく考えこんだ。

「おお、そうだ—がらくたの王と、私を簡単に餌食にできると考えていたブラッドども……」

 彼は楽しい記憶を思い出しているかのように、わずかに微笑んだ。

「少しばかり血を流した後、彼と取引をした—彼の仲間が私を見つけた場合に、安全に〈葬儀場〉に運ぶよう取り計らうように—そしてもちろん、シギルの地下墓地カタコンベをあさり回るための目と手も必要だった」

「青銅でできている球体。見苦しく、触ると卵のようで、腐ったカスタードの臭いがする。そうだろう?」

「そうだ。私はファロドに、それが惨めな生を救う唯一のものだと伝えた……なんと哀れに泣く詐欺師だったことか」

 彼は私に微笑んだ。

「あの老いた雑種は、死ねば〈髑髏の柱〉に行き着く運命だった。そして彼は、死に物狂いで逃れようとしていた。だから私は、もし見つけることができれば彼を運命から品が、シギルの下にあると教えたのだ」

「しかしそれは、彼を救うものではなかった—ただお前が彼に見つけさせたかったものだ」

「もちろん、彼にとっては無意味なものだ。そんなに簡単に運命から逃れられるものか」

 彼は苛立たしげに私を見た。

「しかしながら、永遠の天罰から魂を救うものを見つけろと言うほど、モチベーションを与えることはあるまい。彼が見つけた後に奪うつもりだった。ただ自分で探すには……時間がかかりすぎるものだった、というだけのことだ」

 彼は再び微笑んだ。

「代わりに探してくれる者がいるなら、なぜ私が自分で探さなければならないのだ?」

「実際、結局彼はだまして見つけさせた。なぜそれほど重要なものだったんだ?」

「重要? 知らなかったのか?」

 彼はしばらく沈黙した。

「持っているのか?」

「ああ。持ち運んでいる」

「持っているのか?!」

 彼の瞳が燃え上がった。

「結局、お前の生にも意味はあったわけだ!」

 彼の瞳が揺らぐのが見えた。考えているかのように、計算しているかのように。

「融合した後に、開く手段を見つけることにしよう。すべてが失われたわけではないのかもしれない……」

「何の球なんだ? 何が重要なんだ?」

「死んだ感覚石だ」

 彼は何か遠くのものを見るかのように、私を見通した。

「何が込められていると思う?」

 そして悲しげに微笑んだ。

我々の、最後の経験が保持されている。我々が一連の私ではなく、一人の男であった時の」

 彼は声を落とした。

「なんとかして開くことができれば、彼のの中を見ることができるだろう……」

「そしてすべての原因を見ることが?」

「そうだ……」

 彼は顔を陰らせた。

「常に求めていた答えだ。なぜこうなったのか。なぜ我々が不死になったのか」

 彼はため息をついた。

「そして、知ることはできないのではないかと恐れていたことだ」

 善良な私がさえぎった。

「おそらく、そのようなことに答えはない。答えがあったことなどないだろう」

、おそらくや多分といったことを扱いはしない」

 実際的な私が冷笑する。

「私は答えを求めている。だからこそ我々は、こんなところまで来ることができたのだ」

 彼は軽蔑を込めて善良な私を見た。

「我々が手に生を残していれば、今持っている真実のほんの一部さえ手に入らなかっただろう。そしてその真実の中に、があるのだ」

 彼が私のほうを向いた。

「融合すれば、お前にも分かるだろう」

 私は彼から顔を背け、代わりに善良な私に話しかけた。その顔には心配が浮かんでいて、私より先に彼が喋った。

「大丈夫か?」

 私はうなずいて礼を言い、自分の質問をした。

「お前は誰だ?」

「我々が名前を持ったことなどあったか? 最初の我々だけではないか?」

 男は静かに笑った。

「私はお前の味方だと知れ—私は、他の者と同じように、お前の心の中で死を迎え、この虚構はその名残に過ぎない」

「だが、お前は何者だ?」

「あー……」

 笑みが消え、心配そうに私を見つめた。

「お前を混乱させてしまうだろうが、説明してみよう—私はお前の一人だ。かつて失われ、そして今再びここにいる」

「どうしてそんなことが可能なんだ?」

「それは—分からない。お前が〈要塞〉の中で触れたものが、お前自身の欠片を表出させたんだろう」

 彼は考えこんで間を置いた。

「他の者は、その意味についても知っているかもしれない—しかし私は知らない」

「お前が私の一部なら、知りたいことがある」

「言ってみろ」

「私は数え切れない生を生きてきた。なぜここには三人の私しかいないんだ?」

「分からない。おそらく我々は、どういうわけかお前の心の中にまだ存在している、三つの欠片なのだろう」

「存在している? どうやって?」

「確かなことは分からないが、我々が死んだとき、お前の心の中に以前の人格の痕跡が残るのかもしれない—そしてときおり、我々が影響を与えることがある」

「どうやって?」

「例えば、お前が危険に晒されようとしているとき、あるいは認識しようとしているとき、お前を刺激して正しい方針へと導くことができると分かった」

「つまり頭蓋骨の後ろに感じていた這い回る感覚は、だったのか?」

「お前がどう感じるのかは何とも言いかねるが、ああ、私かもしれない」

「私は仲間と共にこの〈要塞〉に来た……しかし離ればなれになってしまったんだ」

「なら残念ながら、友人たちはすでに死んでいるだろう」

 男は心を痛めているようだ。

「この場所は、生者に対する憎悪を帯びている」

「私がなぜ不死を求めたかは知っているか?」

「いや、分からない。恐怖による行いではないかと思う。他の者たちは知っているかもしれないが、私は知らない」

「なぜ恐怖によるものだと思うんだ?」

 男はわずかに微笑んだが、そこに喜びはなかった。どちらかと言えば、悲しい笑みだ。

「どんな者が死を望むだろうか?」

 彼はゆっくりと頭を振った。

「我々にこの状態をもたらした理由を真に知るのは、最初の我々だけだろう」

 融合するよう求めようかと考えたが、躊躇した。ここでは唯一の味方だ。まずは他の者たちに挑戦したほうがいいかもしれない。

 私は偏執的な私のほうを向き、誰なのか尋ねた。

「お前はこの場所じゃ長く!」

 男の口からつばが飛び、顔がゆがみ、狂おしい笑みが浮かぶ。

のは、だけだ……」

 実際的な私が偏執的な私をにらみつけ、私のほうを向き、再びその顔に冷笑を浮かべた。

「そいつと話すなど、時間の無駄だぞ。そいつの考えには、あらゆる陰謀と悪意しかない。時間を無駄にするのはやめろ—我々二人が話さなければならないことは、まだ多くあるのだ」

め!」

 偏執的な私の両手が、絞め殺そうとするかのようによじれた。

「この指の下でお前の首の骨がのを感じるぞ……を返せ」

 彼は私のほうを向いた。

「お前は外套がいとうのように身につけているんだ、め……」

「私は盗人ではない。お前から盗んでいない」

 私はそう答えた。

! !」

 彼は耳障りな音を立てながら息をついた。

「お前がしたことすべて、お前が傷つけたものすべて—奴らは俺を待っていて、糾弾し、傷つけた。そんな声は、もう……」

 彼の指が空をつかむ。

「だから、ならなかった」

「他の私について、何を知っている?」

 私はそう訊いた。

だ。奴らは—全員が。そして

「私を脅すな、愚か者め」

 実際的な私が言い返した。

「警告するぞ。盗人がいるとすれば、それはお前だ—私の努力を妨害し、問題を解決する我々のチャンスを、お前が盗もうとしているのだ!」

はお前らだ! お前らが俺の体と人生を盗んだんだ!」

 これではらちがあかない。私は推測を確かめるため、彼のものと思われる行為について訊くことにした。

「あの感覚石の罠—私にあれを残したのはお前だな?」

「ああ……」

 そう言って下劣で邪悪な笑みを浮かべる。

「単純な罠だ。死ねない奴のための罠罠だ」

「〈貴婦人レディ〉が〈迷路〉に落としたのはお前だろう? 〈貴婦人レディ〉の〈迷路〉で、お前の日記を見つけたぞ」

「簡単な脱出、単純な罠、奴の〈迷路〉を破るのは簡単だった。もっときつく致命的にすることだってできる」

 彼は微笑んだ。

「奴は罠にかけるのに必要なことを、何も知らなかった」

「言語学者のフィンを殺した責めを負うべきは、お前だな?」

「俺が……」

 彼はしばらく困惑していた。

「俺が殺した奴は。黙らせる必要がある奴らが沢山いた」

 この時、私は彼に哀れみを感じ、また彼の偏執病を避ける方法が分かった気がした。私は彼とウーヨの言語で話すことができる。他に話す生者がいなくなるよう、彼がフィンを殺すことになった言語で。

(我々二人だけで、内密に話そう)

 私がウーヨの言語を話すと、彼は目を見開いて私を見つめた。しばらくの沈黙の後、彼も同じ言語で答えた。

(ウーヨの言語を知っているのは俺だけだ。どうやって知った?)

(お前は正しい。ウーヨの言語を知るのはお前だけだ。だからウーヨの言語を知っているなら、私はお前であるに違いない)

 彼は沈黙し、私を凝視した。

(他の者たちはお前ではない。彼らはウーヨの言語を知らないからだ)

 彼はうなずいた……ゆっくりと。

(話を聞こう)

(この場所は人の認識を乱す—我々はどちらもお前だ。そして我々は一つにならなければならない)

  彼は怯えているように見えた。

「俺は……」

 驚いたことに、彼は普通の言葉遣いに戻っていた……そして、声から抑揚が消えていた。落ち着いて、平坦で、私のものとよく似ている。

「俺は……もうこんな生は嫌なんだ」

(もう必要ない。お前は十分に苦しんだ。道理のない世界に生まれ、見知らぬ者がお前を知っていると主張し、お前が知らないことを責め、お前を傷つけようとする……お前の存在の苦痛と心配と苦悩は、私が消し去ろう)

 彼が私を見た—そして彼は狂気の光を失い、その瞳は私と同じになった。

(ああ……)

(私がお前を守る。お前は平穏を知る。お前が求めていたのは、それだけなんだろう?)

 私の言葉に、彼は弛緩した。私を見つめる彼の瞳が陰る。かすかにささやき、彼は黒石へと倒れた—彼が崩れ落ち、頭蓋骨の後ろで這い回る感覚がした……

 そして記憶の、力の、感情のに襲われた—足を踏みしめ、しばらくのめまい、そして視界が晴れ、再び自分を取り戻した。

 私は実際的な私のほうを向いた。彼は無表情な視線を私に貼りつけている。私の弱さを見定めているように見える。私は彼に、簡単な事実を述べた。

「私はお前と融合するつもりだ」

「なら、そうすることだ」

 彼の瞳が霧のような灰色になり、予期していたかのようにわずかな笑みを浮かべた。

「お前の心に何が蓄えられているか、見ることになるだろう……」

 彼は私が自分の弱さを認め、降伏したと思っているのだ。しかし私は自分の道筋で、彼があざ笑うであろう自分の力を見つけていた。それに加えて、他の私は全盛期を過ぎている。〈要塞〉の番人に会わなければならないのは、私だ。

 私は彼に視線を合わせた……彼の瞳は石のようで、私を引きずり下ろし始めた……しかし私は抵抗した。

 彼の心の回廊に潜りこんだ時、最初に出会った感情は驚きだった—彼が目を見開く。彼が私を吸収しているわけではない。私の意志は強く、私が吸収しているのだ。彼が必死に後退しようとするのを感じたが、無駄だ—彼は弱すぎた。彼が私の潜在意識の奥深くに引きこまれる中、私の意志が彼の退却を阻んでいた。

「我々が話すのはこれが最後だ。死へ戻れ、お前のあるべき場所へ」

 彼はしばらく信じられないというような視線を向け、そして崩壊した。知識が殺到し、表層へと流れる……一度に吸収するには多すぎる。私は混乱していた。あまりにも多い知識—あまりにも多い経験

 ……そして始まりと同じくらい唐突に流れは止まり、私は気を落ち着けた。知識の破片が心の中で渦巻いている。後で理解する必要があるだろう。今のところは、重要な知識は一つだけ—あの私は、この場所を離れる方法を知らなかったということだ。

「クソ……」

 私はつぶやいた。吸収した二人の私の痕跡は、もはやこの部屋にはない。最後の私のほうを向いたが、そこで躊躇した。私の過去の生涯について学んだことのほとんどすべてに、苦痛と苦悩が含まれていた。この私とは、私がした楽しいことを知るために話したいと思った。さらに、この私は友人であるかのように感じられたので、自分の考えや恐れを吐露したかった。しかし、仲間たちは間違いなく私を必要としている。そして目の前にいるのは、過去の生の残響でしかない。この罠を脱出しようと望むなら、融合しなければならない残響だ。

 私が考え終えたことに気づいた彼は微笑み、口を開いた。彼の声はかすかに反響した。

「それで?」

「先ほどお前は、我々が死んだとき、その痕跡が心に残ると言ったな。それがお前たちを出現させたのだと。そうだな?」

 彼が答える前に、続けた。

「それなら、最初の我々が—すべての私より前の、本物の我々が、心のどこかにまだ埋まっている可能性がある」

 彼の表情が一瞬だけ揺らいだ。それは窓のように見透かすことができて、私は突然、話している相手が誰なのか悟った。

が、最初の我々だったのか」

 彼の瞳が取り憑かれたような様子を帯び、彼は視線をそらした。

「お前が考えていることは分かる—しかし、そんなことはない。最初の我々の心を知れば、この場所で、ここで何か助けになると思っているのだろう。それは違う」

「だが答えられる質問が、山ほどある。なぜ我々は不死になったんだ? なぜだ?」

「なぜなら、我々が死ねば、死ねば……」

 彼は顔を上げた。その瞳は鋼のようだ。

「我々にとっては、死の国は楽園ではない。ここにいた者たちと話したのであれば、彼らの人生にける悪の欠片は、私の悪に比べれば水の一滴であると知れ。その生は、その生一つだけで、他の数千の生がなくとも、永遠に下方次元界に迎えられるものだ」

「しかしお前はとても……穏やかに見える。善良な人に」

「ああ、私はそうなった。なぜなら私にとって……」

 彼の声が、奇妙な響きを帯びた。

「人の本質を変えるものは、だからだ」

 彼はため息をついた。

「しかし、遅すぎた。すでに永遠の罰を定められていた」

「自分の本質を変えるだけでは不十分だと気づいた。もっと時間が必要だった。もっと生が必要だった。だから私は最も偉大な〈灰色の姉妹〉のところへ行き、恩恵を求めた—私による被害のすべてを正すのに、十分なだけ生きるために。私を不死にするために」

「そしてラヴェルがそうしたのか。しかし彼女が最初に不死性を試し、お前を殺した時、お前はすべてを忘れてしまったのだろう。

 私の言葉に、彼は打ちひしがれたようだ。

「そしてそれ以来、次元界は滅びていく。罪は甚大で、責任は私にある」

「お前には沢山の質問がある—お前は誰だ、お前の人生はどんなものだったんだ? 誰が—」

 彼は頭を振り、さえぎった。

「私が消え、お前に融合した時、お前は求める答えを得るだろう。整理するには時間がかかるかもしれないが、答えはそこにある」

 彼は悲しそうな笑みを浮かべた。

「人生を言葉で伝えるのは、難しいからな」

「そうだな……我々は一つになる。準備はいいか?」

「最後に一つ……一つだけ……」

 彼は間を置き、私の表情をうかがった。

「忘却に戻る前に—教えて欲しいことがある」

「少し時間を割くことくらいできる—何を知りたいんだ?」

 彼は私の目を見つめ、質問をする前に、その顔に愁いを浮かべた。

「お前は自分の生を—刹那の人生をか? 結局……その生に価値はあったか?」

「私の人生は、とても……短かった。経験したことはわずかで、そのすべてが楽しくて、忘れたくない」

 たとえ辛くても、仲間の記憶を、出会った人々の記憶を、決して諦めたくない。〈蟲蔵むしぐら〉の街路でさえ、私にとっては確かに尊いものだった。

 私の言葉に、彼はうなずいた。彼の顔の緊張が、わずかにゆるんだように見えた。背負っていた重荷を、下ろしたかのように。そして彼は崩れ落ちた。その生が私へと流れこむ。彼が黒石へと倒れ、頭蓋骨の後ろで這い回る感覚がして、体が震えた。他の私は、もういない。


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