プレーンスケープ トーメント 非公式小説

ヴェイロア

前章 | 目次 | 原文 | 次章


 デーヴァが話したポータルを開き、別の次元界へ進む準備をした。しかしポータルの奥に部屋があり、誰かが壁に背を向けて立っていることに気づいた。彼は部屋に入る私たちに気づいたそぶりもなく、興味をひかれた私は彼に近づいた。

 目の前にそびえているのは、ひとそろいの空っぽの鎧だ—しかしその金属版は、目に見えない骨組みに固定されているかのように、空中に浮かんでいる。金属のすね当てには赤い血管が走り、巨大な両刃の処刑斧が手に収まっている。鎧の表面を彫刻が飾り、その中で最も際立っているのが、翼を広げた真紅の蛇だ。記憶の欠片が葬られた心の中の“壁”の向こうから、一つの名前が滑り出てきた。

「ヴェイロア……?」

 その名前がどこから来たかは分からないが、それがこの鎧のものだということは知っていた。わずかにささやいただけだったが、その名は部屋の中で奇妙に反響した。空気が震え、頭蓋骨の中に這い回る感覚が生じ、心の中の結び目が締まる。

 ひとそろいの鎧を見つめていると、面頬の下の影が形をなし……融合して、力強い黒檀の皮膚の男の顔になった。その瞳は炎のようで、彼は無数の傷を帯びていた……まだ肉体があったとき、彼が『ヴェイロア』だったのか? 忘れがたいほどなじみ深く感じる……ひとそろいの鎧としても、生身のヒューマンとしても。呪文を唱えるかのように、私の唇からさらなる言葉がまろび出た。

「ヴェイロア……目覚めろ」

 ヘルムの下で輝く赤い光が燃え立ち、まばゆい閃光せんこうが放たれた。私はまぶしさに目を覆い—その手をよけると、ヘルムの影の中に二つの残り火が燃えているのが見えた。そして彼は、声を発した。

目覚めたぞ

 鎧の中で反響する声は、奇怪かつ虚ろだ。ヒューマンの声ではない……それ以上の力を、存在を感じる。それは生きているものの声でも……かつて生きていたものの声でもなかった。

「お前は誰だ?」

「我はヴェイロア

「お前は?」

「我は慈殺者じさつしゃなり」

 ヴェイロアが『慈殺者じさつしゃ』という単語を口にした時、アンナとモーテが体をこわばらせた。

慈殺者じさつしゃ?」と、おうむ返しに訊いた。

慈殺者じさつしゃ正義に仕える。正義は悪を粛正する。すべてが清められたとき、多元宇宙は完璧を実現するのだ」

「なぜ『慈殺者じさつしゃ』と呼ばれているんだ?」

「慈悲とは弱者が使う盾。慈悲とは弱さなり。慈悲とはなり。穢れなき者などいない慈殺者じさつしゃは慈悲を殺し、その情婦を殺す。その疫病が伝わる場所、どこであれ」

「それには同意できない。慈悲は強さだ—そして正義でさえ不当となることがある。特に行き過ぎた場合には」

慈悲正義の心を侵食する。生きとし者で、穢れなき者などいない

「お前はどれくらい投獄されているんだ?」

「投獄され、時は消え失せた。時は意味を帯びぬ。ただ正義のみ」

「なぜカーストに来たのかは分かるか?」

「我が旅で、多くの者が失われた。裏切り者を探していたのだ。奴らは我を見つけ、投獄した。反逆行為である」

「どんな裏切り者を?」

「カーストは裏切り者なり。正義に逆らうは、この街なり。我はこの街を、浄化しに来たのだ」

「どうやって投獄されたんだ?」

 ヴェイロアは沈黙した。残り火の瞳が揺らめく。

「ヴェイロア? どうやって投獄されたのか、思い出せるか?」

分からぬ

「正義はどうやってお前に力を貸すんだ?」

正義は、不正が引き起こした被害によるものなり」

「つまり……不正が大きければ—罪が大きければ—“正義”は、より大きな力をお前に貸すのか?」

不正が大きければ、それを正すために必要な正義が我に授ける。何人なんぴとたりとも立ち向かうことなどできぬ。いかな障壁も粉砕し、いかな盾も両断し、いかな魔法引き裂き判決を下すしもべに与え給うのだ」

 ヴェイロアがその言葉を吟じると、這い回るような感覚が体を通り抜けた—あまりに強く、体が震える。この言葉をかつて聞いたことがある。そして私は、それがだと知っている。

これを知れ全次元界において、もたらされた正義の手を止めることができるものなど存在せぬのだ。軍隊を破壊するかもしれぬ。神々の玉座を両断するかもしれぬ。正義に背く者にとって、我こそが運命だと知るがいい。そして運命は、死刑執行人の斧を持つ」

「いつ正義を執行するのか、どうやって知るんだ?」

「我が眼を通して正義が見る。慈殺者じさつしゃには、弱さの割れ目が、もろさが、における慈悲の傷が見えるのだ。見ることで、我は罪を知り、罪人の恐怖知るのだ」

 彼が主張する力を怪しんだ私は、周囲を見回し、最初に目に入った仲間を選んだ。

「モーテを見たとき、お前には何が見えるんだ?」

「その髑髏は、多くのことを知っている。だが、正義については何も知らぬ。その髑髏のような心を持つ者は、大半が牢獄の中にいる」

 私は完全に好奇心を刺激され、他の仲間には何を見るのか知りたくなった。まずはダッコンについて尋ねた。

「そのギスゼライの心には、種族を害する偏見が欠けている。それでも彼は、葛藤の中にいる。その言葉が、その意志であり、であるからだ。ギスゼライが混沌の中で栄える場所で、その者は苦しむだろう」

「偏見? どういう意味だ?」

「ギスゼライの種族は偏見で燃えている。正義の眼中に、偏見の場所などない。その性質上、偏見は正義を汚染する。ギスゼライはその種族的類縁たるギスヤンキと、ギスの者たちの主人たるイリシッドに偏見を抱いている。ギスヤンキとイリシッド双方に対する怨恨が、ギスゼライの心の中で燃えているのだ」

 次にノルドンについて尋ねた。

「そのモドロンに、重要性はない。それは正義を定義することはかなうとも、理解することはない。芳しくはない。だが相応だ」

 次はフォール゠フロム゠グレイスだ。

タナーリは混沌より生まれる。彼らが正義を気にすることはない。そのサキュバスは、正義を知っている。だが彼女は、正義背を向けた。その心を慈悲毒している

 彼の言葉に、フォール゠フロム゠グレイスは体をこわばらせた。しかし答えた声は平坦で、感じているはずの緊張の痕跡は感じられない。

「わたくしは正義を知っております、ヴェイロアさん。わたくしはそれを経験と知識によって鍛え、そしてこれら二つの真実によって鍛えられた正義は、より強くなるのです。わたくしは、慈悲と容赦も知っております。それらがなければ、次元界は残酷な場所になってしまうことでしょう」

慈悲正義を侵食する。慈悲は、完璧なるものすべてを食い荒らす。同情容赦は、慈悲の毒である」

「いいえ、ヴェイロアさん、そうではありません。それらは魂が償い、高まり、強くなるための道具なのです。そうすることで、多元宇宙は強くなるのです。あなたが話す完璧は、その中にこそあるのです」

サキュバスよ、お前は弱い。お前のと同様に、弱い。お前の肉体をもって誘惑するところ、慈悲がお前を誘惑するのだ。お前は慈悲の娼婦なり。お前は何者でもない

 フォール゠フロム゠グレイスはこれに威儀を正した。

「そうでしょうか? ではあなたのその眼で裁いてください。わたくしが欠けて見えるのか、わたくしを侵食するとおっしゃる弱さが見えるのか、確かめてください」

 フォール゠フロム゠グレイスを見つめ、ヴェイロアの瞳が燃え上がった。二つの残り火が、松明のように燃える。フォール゠フロム゠グレイスはじっと視線を外さず、その瞳は透き通り、決然としている。

弱さがそこにある。お前は自分が強い信じているが、慈悲がその根を支えている。それはやがて、お前の意志喰らうだろう」

 ヴェイロアは一瞬間を置き、彼の次の言葉はハンマーのように感じられた。

「さらに……お前のには他の弱点があるな、サキュバスよ。これが我が眼に見えるものだ。お前は思いやる思いやることで、お前は弱くなる

「その点では、わたくしたちの意見は分かれておりますね、ヴェイロアさん」

 グレイスはそう答えた。

「アンナを見たときは、何が見える?」

 私はそう尋ねた。

「ティーフリングは、下方次元界によって堕落している。その血には、正義に対する忠誠余地がない。彼女は正義を理解し、しかし無視している」

 ヴェイロアの瞳が燃えて松明になる。

「だが、無視することはない」

 その言葉に、アンナの目が細まった。

「その見えない目を私に向けないほうが身のためよ、幽霊! あんたと話すことなんてないわ、ほんと」

「ティーフリング、我に答えよ。お前は不正を犯したことがあるか?」

 ヴェイロアの視線がアンナに向けられ、彼女は火がついたかのようにたじろいだ。

「いえ、幽霊、あんたに質問する権利なんてないわ、ほんと」

正義が我に権利を与えている」

「あら? それはどんな正義だっていうのかしら?! あんたの正義は私の正義じゃないわ—あんたの鎧みたいに空っぽね! そんなあんたが盲信してる正義で、私を裁くんじゃないわよ!」

慈殺者じさつしゃこそ正義なり。我らの行動に疑問は及ばぬのだ、ティーフリングよ」

「あらそう? まあ、あんたら“慈殺者じさつしゃ”は正義の名の下に、私の友だちをたくさん葉無はなに吊してくれたわね! 気に入らないってだけで! バートルの業火に焼かれなさい、この半死半生人! それで神威かむいに水をかけられればいいわ! 鎧ごと〈鍛冶場〉の大おけに落ちて、跡形もなく溶けちゃえばいいのよ!」

最終通告だ、ティーフリング、お前は不正を犯したことがあるか? 返答を拒めばを認めたものとする」

 アンナを苦しめる彼に怒りを感じた。〈蟲蔵むしぐら〉に生き、犠牲になることを拒んだ者が、罪を犯さないことなどあり得るだろうか?

「ヴェイロア、やめるんだ。今すぐに。彼女に問うのをやめろ」

正義が我に権利を与えている。罪が彼女を、第二の皮膚のように覆っているのだ」

「やめろと言ったんだ、ヴェイロア、私は本気だ」

「ならば慈悲なる娼婦が姿を見せた。弱さがお前の心を毒している」

「そうか? なら私を裁いてみろ、ヴェイロア—私が欠けていると分かったら、判決を下せばいい」

正義のしもべに問うなど、何様だ? お前は何者でもない。お前は抜け殻だ。今、その心を覗いてやろう。お前に瑕疵があるか、確かめてやろう

 ヴェイロアの燃える赤い瞳が私に向けられた時、それが皮膚を裂き、燃やし、引き剥がすのを感じた—しかし痛みはない。ただ目眩の奔流と、溺れるような感覚だけだ。彼の視線が焼きつき、記憶がうごめくのを感じた……

 燃えさかる赤い瞳が明るくなり、ほとんど目が見えなくなり、そして私はヴェイロアとしていた。しかし先ほどまで虚ろだった空間に、肉体がある—傷だらけの黒檀の皮膚の男が、ヘルムの下から私をにらんでいる。その瞳は炎のようだ。鎧は輝き、彼の顔には激怒が張り付いている。彼は私のためにここまで来たのだ。

「私を見つけたか、ヴェイロア。はるか彼方から旅をして……容易なことではなかっただろう」

「正義が我をお前のところに導いた。お前が歩むところ、災禍の痕跡が残る」

 男の声はとどろいているが反響はなく、ヴェイロアの怪奇の声ではなく、ただの生身の人の怒りの声だ……彼は危険だが、幽鬼の軍勢ではなく、ただの男だ。そして私は、このような男を数え切れないほどほふってきた。

「我は、お前がシギルの法廷に連れて行かれ、裁かれる様を目にするのだ。否定するなら、そう言うがいい。我がお前を裁こう」

「否定する。私を裁け……そして私がお前を裁こう」

「我を裁くだと?」

 ヴェイロアの瞳が燃え、斧を持つ手に力が込められる。首と腕の筋繊維が引き締まり、彼はゆっくりと威圧的に斧を振りはじめた。

「お前に我を裁く権利などない」

「いや、権利はあるぞ、ヴェイロア。私はお前の心を知っている—そして私の力が、お前を裁く権利を私に与えるのだ。だが、今は裁かない。私がお前に再び次元界を歩く自由を与えるまで、お前はこの檻の中で休まなければならない」

 かつての私が『檻』という言葉を口にした時、ヴェイロアの視線が突然周囲の壁に向かった—私が彼を見つけた、カースト牢獄の独房の壁だ—はるか昔の。人が何度も死ぬのに十分なほど、はるか昔の。あるいは、ただの一度か。

「ヴェイロア、私は今の今までお前から逃れてきた……なぜ会うことに同意したと思う? 降伏すると思ったのか? あるいは戦いたいと? 違う……ここは門扉街もんぴがいカーストだぞ、ヴェイロア。囚われる、カルケリの次元界に隣接する場所だ。ヴェイロア、お前は強い。だがこの場所のエネルギーは、強大な者でさえ束縛することを可能にするのだ」

 ヴェイロアは顔を背けた。瞳の中の炎に陰りが生じる。

「これは裏切りだ」

「裏切りはこの場所を血管のように走っている。そして私にこの魔法のための力を与えたのは、その裏切りだ—だから私は、お前とカーストで会わなければならなかった。ヴェイロアよ、私はこの独房を離れることができる。だが私が戻ってくるまで、お前は出られない。お前の正義のための聖戦は、本当に注目に値する。だがそれも忘れ去られる。そしてやがて—正義さえもお前を忘れるだろう」

「お前は自らの正義を否定するに留まらず、我の聖戦を否定している……」

「お前の任務は知っている。しかしそれは、任務を終えるまで待たなければならない。そして、お前が私を見つけ裁こうとしたのはこれが二度目だ。三度目はない」

 ヴェイロアは何も言わなかった—私は、これほどのを言い渡したことはなかった。彼に恐ろしい判決を宣言した。まったく正義を示さないという判決を。

「私は不死だ、ヴェイロア—だがお前は……強い。正義がお前に、その正義は私を支えている何かよりも強いかもしれない。だが、気を取り直せ。お前が死ぬことは望んでいない……おそらくいつの日にか、私を殺す力を持つ者が必要になるだろう。だからお前は、私が戻るまでここに留まるのだ」

 記憶が暗くなり、暗闇となり、そして突然、私は再び幽鬼のヴェイロアと向かい合っていた。鎧をつけた彼の顔に、肉体はない—ただ燃える残り火だけだ。

「お前は裁かれる

 ヴェイロアの燃える視線を向けられ、突然自分が体の外に後退したかのような、奇妙な分離感覚がした。頭蓋骨の中でかすかなささやき声がして、私は不意に、ヴェイロアが何を見ると主張しても、彼は私が見せたいとものだけを見るのだということを知った。単純な欺瞞でさえ、彼は受け入れなければならない—彼にとって、私は閉じられた本なのだ。

「他者を殺害したことはあるか?」

 しかしながら、彼に嘘をつきたいとは思えなかった。その代わりに、これまで犯した多くの罪の中から一つを選んだ。

「ああ……私の心によってではないが、私の手によって。以前の生で、フィン・アンドリーという名前の男を、彼が持つ知識を理由に殺害した」

「お前は罪を認めた

 ヘルムの中でヴェイロアの瞳が燃える。そしてこの幽霊の鎧の中に、恐ろしいが潜んでいることに気づいた

罰せられる

「だが私はすでに罰を受けているんだ、ヴェイロア」

 ヴェイロアは静まった。

「お前の罰を聞こう

「ヴェイロア、私は死ぬたびに記憶を失う。自身の概念も、自分が誰なのか、誰のかも分からず、思い出せない傷による傷痕を、心と体に何千と帯びている。死が私を拒絶し、永遠に平穏を得られないかもしれない」

 ヴェイロアが私を見つめた。その瞳が明るく燃える。先ほどと同じ視線を感じた。ヴェイロアが私を分析し、皮膚を裂かれ、引き剥がされる。吐き気に襲われ、溺れるような感覚がした。今回は、深く……視界が暗転しそうなほどに……

「お前は罰せられた正義の印がお前にある。お前の肉体に、それが見えるこれを知れ。お前の中に、見えぬものが多くある。我はお前を見ている。お前は罰せられた。だがそれは、来たるに対する未来の罰からお前を救うものではない」

 私は再び、以前の私が、実際的な私が残した残骸に出会った。幽閉されていたヴェイロアは、その浄化された正義の化身の中に、わずかな痕跡しか残っていない。そしてこの男のために私ができることは、ほとんどない。

「何が正義をするんだ、ヴェイロア? 正義とは実のところ何なんだ?」

正義とは、によって定義されるものなり」

「では法とは何だ、ヴェイロア?」

とは、正義に資する道具なり」

「では、法を作るのは何だ、ヴェイロア?」

とは、正義によって定義されるものなり」

「それでは循環論法だろう、ヴェイロア—意味がない。お前は、正義によって定義される法によって定義されるのが正義だと言っている」

とは、正義によって定義される、ものなり

「生きた人々が法を作るんだ、ヴェイロア—彼らが作る法はのか?」

は、正しい

「しかし、もし法が生きた人々によって作られるなら、純粋ではと言った者たちによって作られるなら、法は彼らの手によって腐敗しているのではないか?」

「生きとし者で、穢れなき者などいない。されどは、生身の人を超える不完全から、完全が生まれ得る不正なる法は、洗練され得るその悪を抜き取ることによって

「ならお前は、法が必ずしも完全ではないことを認めている—しかし正義は法によって定義される。なら正義も同様に完璧ではないだろう?」

 ヴェイロアは沈黙した。

「ヴェイロア—正義などんだ。お前が正義の名のもとにしていることは、すべて無意味だ

 私の言葉が反響し、力を集める。ヴェイロアの瞳の残り火が揺れ—そして消えた。鎧が崩れ、斧と金属板が地面にガラガラと散らばる。そして塵が舞い上がった—目の前で板金と斧が朽ち、崩壊し、灰と錆の粒子が立ちのぼる。ヴェイロアが存在していた墓石として残ったのは、わずかな金属板だけだった。

 ある意味で、私の言葉は以前の私よりもはるかに大きな裏切りだった。そこに正義はなく、慈悲による行動だったからだ。私は背を向け、仲間と共にポータルを通り抜けた。


前章 | 目次 | 原文 | 次章