プレーンスケープ トーメント 非公式小説

唱道者イアニス

前章 | 目次 | 原文 | 次章


 日記をしまうと、叫び声を浴びせられた。

「お前、さっさと“っ引く”のが身のためだぞ。ここから出ていけ!」

 顔を上げると、チンピラと思われる一団がいた。私は立ち上がり、声をかけてきた一人に近づいた。この若い筋肉質の“チンピラ”は—確かによく武装していて、物騒なほどガタイがいいが—典型的な地回りにしては、ひどく清潔だ。片手には巨大な斧を携えている。私が近づくと、彼は威張ってにらみつけてきた。

「何を見ているんだ、“鹿馬野郎かまやろう”? 俺に“くびられる”前に、“っ引け”!」

 アンナが疑わしげな目を向ける。

「“くびられる”?! バートルの九つの次元界にかけて、何言ってるわけ? バカじゃないの? くびなんて、ハードヘッズにせがまれて摘ままれて引っこ抜かれるわ、脳無のうなしでくさあな与太者よたもん!」

 彼はアンナをぎろっとにらんだが、何も言わない。〈蟲蔵むしぐら〉で出会って殺したチンピラとはあまりに違う身なりについて、言わずにはいられなかった。

「お前はチンピラにしては、少し身なりがいいようだ」

「“骨箱ほねばこ”を揺らすのをやめろ、“革頭かわあたま”! ここはテリトリーだ、すぐに出ていけ。俺の“ブラッド”に引き裂かれたくなかったらな!」

 アンナが頭を振り、クスクスと笑った。

「鳴らすでしょ、鹿馬かま骨箱ほねばこを鳴らす、よ。あんたがその持ち味を〈蟲蔵むしぐら〉のど真ん中でどれだけ保てるか、見てみたいわ……」

 そして私のほうを向いた。

「さ、行きましょ。こんなひょろひょろの自称なぐと、時間を無駄にする意味なんてないわ」

 彼は苛立ちで歯をきしらせながら、怒りで顔を赤らめた。

「終わりだぞ—お前が“ぶっし”望んだことだ! やれ、“ブラッド”!」

 彼は斧を構え、襲ってきた。

 戦闘はあっけなかった。この“ブラッド”は明らかに本物の敵に出会ったことがなく、逃げるセンスのない者たちはすぐに自分の血にまみれて地面に倒れた。

 戦闘のあいだ、ノルドンは後ろに留まりクロスボウを使っていた。一方でアンナはいつもの不意打ちを試みる機会がなく、ノルドンの前でほとんど普通に戦っていた。戦闘が終わった後、ノルドンは戦闘中の彼を悩ませていたらしい疑問を投げかけた。

「アンナ、貴方ノ尻尾ハ、バランスヲ保ツノニ役立ッテルデス?」

「いいえ、単に背中をかく用よ、この鹿馬かま箱!」

「ナルホド、極メテ論理的デス」

 アンナはうんざりした様子でため息をついた。

 何人かから、この区画に住んでいる著名な唱道者しょうどうしゃについて話を聞けた。その男なら遺産に関する情報を持っているかもしれない。そうでなくても、他の唱道者しょうどうしゃについて知っているだろう。

 唱道者しょうどうしゃの家を見つけるのは簡単だった。私たちは大きな家の地下への立ち入りを許された。召使いがいるとしても、その痕跡はなかった。そこにいたのは、唱道者しょうどうしゃ本人だけだった。

 その男は、複雑なデザインで覆われた柔らかい青いローブを着ていた。華やかではあるが、ローブはしわになり、すり切れている。年齢は中年から60代前半のどこかだろうか……眉間のしわが判断を難しくしている。部屋に入ると、彼はゆっくりと私のほうを向いた。突然、この男を……あるいはかつて、という恐ろしい感覚に襲われた。彼は私を見定めようとするかのように、目を細めた。

「ええと? どういったご用件でしょうか?」

「お前は?」

「イアニスです」

 彼は私を見つめ、眉をひそめた。

「私をお探しだったのですか?」

「どうだろうな……この場所は?」

「私は唱道者しょうどうしゃです。ここは私の事務所ですよ」

 イアニスの声に、苛立たしげな鋭さが混じる。

「ご相談でしょうか? そうでなければ、好奇心は別の場所で満たすのがよろしいでしょうな」

 モーテがささやき声で割りこんだ。

「弁護士だって言ってるんだ。法廷弁護士。裁判所で骨箱ほねばこを鳴らす与太者よたもんの一人さ」

 それはもう知っていたので、モーテをにらんだ。イアニスにもモーテの言葉が聞こえたに違いない。その説明で、彼の眉間のしわが深まったからだ。

唱道者しょうどうしゃは助言を提供し、シギルの法制度の迷宮を通り抜ける助けとなり、市民の財産が彼らの選択通りに分配されるよう遺産を整理し、誤って告発された人々をシギルの法廷で弁護します……」

 彼は間を置いた。

「これらの分野で、助けが必要なのでしょうか?」

「実は、お前が私のための遺産を持っているはずなんだ」

 少なくとも、そう願っている。

「『51-AA』の遺産だ」

 私が遺産について明かすと、彼は驚いたようだ。

「それは非常に古いものです……確かなのでしょうか……」

 彼は衝撃を受けた表情を浮かべている。

「燃えてしまったものに含まれていなければよいのですが……」

「どれほど古いんだ?」

「ええと……」

 イアニスはしばらく考えこんだ。

「少なくとも数十年は昔でしょうな」

 私が欲しているものであれば、50年以上前のものであるはずだ。まだ存在していればだが。

「燃えたかもしれないと言ったか? どういうことだ?」

「ええ、この事務所は不合理な暴力行為の標的になったのです。1年前に、この事務所に侵入した者がいます。破壊者の目的は、法的文書を燃やすことだけだったようです。多くのものが失われました。本当に、残念なことです。シギルはとても……人の信仰を害する場所ですな」

 シギルについて話した時、彼は少しだけ弱って見えた。

「破壊者が損なったのは、特定の文書だけです。かけがえのないものでした」

「その火事について、他に話せることは?」

「お話しできることは多くありません……奇妙な局所的な火事でした。燃やされた文書の何が貴重だったのかも分かりませんが、何者かが破壊したいものがあったに違いありません。多くの古い遺産といくつかの記念品、私だけに価値がある形見も燃えてしまいました」

「犯人は特定できなかったのか?」

「ええ、ハーモニウムも慈殺者じさつしゃも、張本人を見つけ出すことは叶いませんでした」

「私の遺産がまだあるか、確認してもらえるか?」

 彼は数分離れ、記録の番号を調べに行った。そして戻ってきて、幸運にも火事の被害は受けていなかったと報告した。

「引き取ることはできるか? 私が受取人だ」

 彼が差し出した書類に署名し、遺産の品を受け取った。

「こちらをどうぞ。書類の残りのようですな。倉庫にあった品は、それですべてです……〈鍛冶場〉の預り証と見られるものもありますが、極めて古いものです。故人が〈鍛冶場〉に就役していたのでしょうか?」

「まったく分からない。しかし……どんな可能性もあり得ると、考えはじめたところだ」

 彼が他の遺産も持っているか、確かめておこう。

「若い女性の遺産も受け取りに来たんだ……」

 彼は遺産の番号を尋ねた。

「『687-KS』だ」

 彼は番号を確かめに行き、数分後に呆然ぼうぜんとした様子で戻ってきた。

「それは……」彼は目を見開いた。「私の遺産……?!」

 彼はショックを受けている。

「どうして娘のことを?!」

「分からない。〈催事場〉の感覚石に、遺産の番号が保存されていたんだ」

 彼の瞳が希望に燃えた。

「本当ですか? どれにです……? 教えてください!」

感覚者かんかくしゃの石の一つだ……感覚者かんかくしゃでなければ、アクセスすることができない」

 彼はしばらく考えていた。

「方法を見つけなければ……彼らも父親に対しては例外を認めてくれる可能性も……」

「よければ話を通してみよう。この場合は、彼らも例外を認めてくれるはずだ」

 イアニスは安心したようだ。

「差しつかえなければ。本当に感謝します」

「やれることをしてみる。しかし、ダイアナーラについてもっと教えてくれ。どんな人物だったんだ?」

 私は彼がまだ話していない娘の名前をもらしてしまった。しかし、彼は気づかなかったようだ。

「ダイアナーラのことですか? あの子は……まだ若かった。最近全感覚協会に、感覚者かんかくしゃに加わりまして……不親切な党閥とうばつというわけではありませんが、そこで誰かと会っていたようです……そしてその者を追って旅をして、亡くなりました。あの子の……」

 彼は痛ましい表情を見せた。

「あの子の遺体すら、取り戻すことができませんでした……」

「彼女は感覚者かんかくしゃだったのか?」

「ええ……」

 彼はわずかに生気を取り戻した。大切な記憶に温められたかのように。

「娘が彼らに加わったのは、天賦の才ゆえ……そして多元宇宙で経験したいものが数多くあったからです。感覚者かんかくしゃたちは快く経験と感覚を共有するものですから」

「天賦の才?」

「ああ、ええ……」

 イアニスはうなずいた。

「娘の体には、神託者の血が流れていました。不確実な才能ではありましたが、ときおり、起きる前の出来事を見通すことができたのです……娘には“眼”がありました。運命の糸をより分け、時すら超えて見ることができる“眼”が……」

「その旅で彼女がどこに行ったか知っているか?」

「娘は決して話しませんでした。どこへ行くのか、言うことができたのかも分かりません。それは……恐ろしい場所だったのでしょう」

「どう亡くなったんだ?」

「分かりません……遺体も帰ってこず……」

 イアニスの顔が真っ赤になり、拳が握りしめられた。

「それがこの悲劇の中で、最も腹立たしいことでしょう……私は何が娘を駆り立てたのかも、何が起きたのかも、今遺体がどこにあるのかも知らない!」

「こんなことを訊いて申し訳ない。しかし遺体を見たことがないなら、どうして彼女が死んだと分かるんだ?」

「それが奇妙なところです……娘の遺体を見つけていないか塵人ちりびとに尋ねに行ったのですが、塵人ちりびとの記念碑の外にいる党員に会うよう指示を受けました……『デス゠オヴ゠ネームズ』という名前だったかと思います。誰が死んだかに関する、ある種の神託者だと言われています。娘の死は、彼から伝えられたのです」

「彼女が共に旅した男については、何か知っているか?」

「わずかにしか。娘が去るまで、その存在すらほとんど知りませんでした。そうでなくとも、知るのが遅すぎたでしょうな」

 イアニスのことはほとんど知らないが、少なくとも真実の一部は伝えなければならない。

「その男は、私のことだと思う。しかしほとんどのことを忘れてしまったんだ」

「あなたが?!」

 イアニスが頭の先から足の先まで私を見た。

「あなたがその一人で……そして忘れたというのですか?!」

 イアニスは威儀を正した。戦いのために身構えるかのように。

「忘れてしまったと……しかしそれほど昔の事件ではありません。どうして忘れることなどできるのです?」

 それほど昔ではない? 50年以上前のことだ。イアニスは思ったよりも歳を重ねているに違いない。そして、その苦悩は彼にとってはまだ生々しく、娘の喪失も昨日起きたことのように感じられるのだろう。

「私は奇妙な状態にあって……一時的に……自分を失ってしまう。私や娘に関してお前が話せることは、非常に貴重なんだ」

「この都市における在職期間で、数え切れないほどの嘘つきを知りました」

 イアニスは熱心に私を見つめた。

「あなたからは、そのような印象は受けません……少なくとも、この件に関しては」

 そしてため息をついた。

「本当に思い出せないのであれば、旅であなたと娘に降りかかったことが、深い傷痕を残したに違いありません」

「同意したいところだ」

「それならあなたに頼みたい。もし記憶が戻り、娘に何が起きたのか突き止めることができなたら、ここに戻ってきて、私の心に平穏をもたらして欲しいのです」

「そうしよう」

 その後私は、ダイアナーラが私のために残した遺産を求めた。彼はしばらく姿を消した。

「品物は、これですべてです……」

 イアニスは巻物二つと指輪一つを持っていた。

「娘がここに遺産を納めていたとは知りませんでした……」

 彼は魔法にかかったかのように遺産を見つめていた。

「どうぞ。もしよろしければ……読んでも構いませんか?」

 拒否することはできなかった。巻物の一つは治癒の魔法だったが、もう一つは彼女が書いたものだった。

「もちろんだ。これを」

 イアニスは巻物を受け取り、調べた。長い沈黙が流れ、そしてゆっくりと顔を上げた。

「あなたは……娘にとってとても大切だったに違いありません。あなたのために、命を捨てるつもりだったようです」

「そうだったのだと思う」

 イアニスは私に巻物を返した。

「ありがとうございます。ご親切に感謝します」

「せめてこれくらいはさせてくれ」

 そして立ち去ろうとしたが、私はイアニスに対して完全に誠実なわけではなかった。彼の娘については他にも知っていて、そのことを言わずに去るのは正しいとは思えなかった。それが彼の苦痛を増やすだけだとしても。

「〈葬儀場〉の記念館に、ダイアナーラという名前の女性が埋葬されている。彼女は幽霊になって、私のことを知っていると言ったんだ」

「な……なんと?!」

 イアニスは面食らったようだ。

「な……なんと言ったのですか?!」

「彼女の霊は、今は記念館にいる。しばらく話したが、彼女は苦しんでいるようだった」

「娘と……話した?!」

 イアニスはさらに混乱したようだ。

「何が彼女を悩ませているのですか?」

「どうやら、私だ。彼女はこう言った。私を愛していると。私が彼女を愛していたと……そして私が、彼女を見捨てたと」

「そう、ですか」

 イアニスは顔をしかめ、私を見つめた……その顔は石のようだ。

「あなたは娘と共にシギルを離れた者の一人。娘を死なせることになった旅に導いた者の一人なのですね」

 イアニスの告発に、私は何も言わなかった。それが真実だからだ。私は彼女を旅に導いた。彼女の力を使うためだけに、共に来るよう故意に操った。その出来事を直接覚えていないという事実は、あるいは今彼女の運命に強烈な苦悶を感じていることは、起きたことを変えはせず、変えることはできない。これ以上は何も言わず、彼の家を出た。

 外に出てから、ダイアナーラの遺産の巻物を開いた。

『愛しのあなたへ』

『これを読んでいるということは、私が見た悲劇が起きてしまったのね。私は死んで、あなたはその喪失に苦しんでいることでしょう』

『このことを知っていて、愛しのあなた……あなたが感情を隠さなければならなかった理由は、分かっていたわ。自分が背負う恐ろしい重荷から、私を守ろうとしていたのでしょう。あなたが保っていた距離が、私を守るあなたなりの方法だった。そしてつかの間二人きりになれた時に、あなたは気持ちを教えてくれたわ。その時に、私はあなたの気遣いを知ったの。後悔しないで。罪悪感を抱かないで。あの恐ろしい旅に付いていったのは、私の意志だったのだから。そして私にどんな死が訪れても、あなたが全力で助けてくれると分かっているわ』

『私たちの人生は絡み合っているのよ、愛しのあなた。死でさえ、私たちを分かつ壁にはならない』

『私の眼には来たるものが見えるから、それは断音スタッカートの瞬間だけだけれど、私たちが一時的に引き離されることは分かっていたわ。それでも、また一つになれる。だから、私の死をお別れと思わないで。また会うまでの幕間に過ぎないのだから。私の指輪を持っていて。私のことを考えて。私をあなたの心の中に。それが私たちを再び引き合わせる、かがり火になるわ』

『永遠の愛をこめて』

『ダイアナーラ』

 彼女の指輪を調べようとしたが、見るのも難しかった。目に涙がたまって、視界がぼやけていたからだ。心の奥底の記憶が、指輪の確認を助けてくれた。

 この象牙色の指輪はかすかな輝きを放ち、触ると冷たいが、不思議と安心する冷たさだ。全感覚協会の数ある秘密の中で私が思い出したのが、〈魂石〉と称するエリュシオンの特殊な石を加工する技術だ。感覚石ほど強力ではないが、魂石は加工者の気持ちの面影を帯びると言われている。このような指輪は、しばしば感覚者かんかくしゃの婚礼で使われる。互いの想いが刻まれた指輪として。

 指輪を指にはめ、ダイアナーラを助ける方法を見つけると決意した。魂石の輪が自然に広がり、指に収まった。


前章 | 目次 | 原文 | 次章