プレーンスケープ トーメント 非公式小説

ダイアナーラの感覚石

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 私に対する罠はすでに起動したことから、他の石も試すことにした。過去の私による別種の罠が待ち受けているとも知らずに。

 水色の感覚石の前に立った。この石の基部の彫刻は、下の台座に溶けこんでいるかのようだ。完璧な淡青色の涙が側面を流れ落ち、台座の下の『憧れ』という銘をふち取っている。

 石に両手を置くと、その下で表面が波打った。渓流に両手を沈めたかのように、冷たさが打ち寄せた。

 目を閉じ、しばたかせ、そして開いた—涙があふれ、溺れるような感覚に襲われた。それが過ぎ去ると、胸の中が震え、蛇のように有毒な渇望が心臓に噛みつき、胸が引き裂かれるように感じた。必死に落ち着こうと、集中しようとしたが、目に浮かぶのは涙だけだ……

 手で涙をぬぐう—柔らかく繊細な、女性の手で。はぐれた涙を頬から払う。両手に落ちた涙は、光の中できらめく宝石のようだ……

 私の聖域を漂う蝋燭ろうそく球から、光が投げかけられている。この場所には、考えをまとめ、未来を向く目で過去を顧みて、来たる旅の前に心を清めるために来た。それなのに……集中することができない! 思考は現在に居残り、胸の中でもだえる恐ろしい感覚に囚われている。彼は、……?!

 目を閉じても、心の中で彼の言葉が響く。何百回も、何千回も。彼が二度と戻ってこないかもしれない?! 声がささやき、反響する。「お前だけ。お前だ」と。でも私は、時の扉の瀬戸際で躊躇してしまった。彼は、旅立つことを恐れていると考えたに違いない。それは違う。私は取り残されるのが怖かった。そしてその恐怖が……蛇が再び胸の中でのたうち、牙が心臓に突き刺さり、毒で心臓が張り裂ける。再び涙があふれ、頬を伝う流れになる。彼の言葉が響く……

「お前だけ。お前だ」

 ぱっと目を開く声だ! めまいがして、あえいだ。影の中に力強く立つ彼が、漂う蝋燭ろうそく球の光の中に足を踏み入れる。蛇がもだえ、死んでいく……彼が戻ってきた! 顔は険しくても、私に会えた喜びをわずかに見ることができた。やっぱり彼は、私のために

「私を助けられるのはお前だけだ、ダイアナーラ。しかしお前の助けを求めたのは、よくないことだった……」

 私は言った……ダイアナーラと……しかし私は、これはだ。彫像のような灰色の肌が光をまたぎ—私はこれほど傷だらけだったのか?! 無数のナイフを浴びたかのような、恐ろしい傷、タトゥー—しかし私は、目を通して見ていた。彼女は見ていた……どうして彼女は、こんな風に私を見ることができたんだ? 私の姿には覆いをして、こんな光の中で、恐ろしい憧れを込めて私を見ることが……どうして彼女は、こんな風に感じることができたんだ……?

 視界が引き裂かれて二重になり、光から歩み出る男になった。これは。しかし……自分自身が引き裂かれるのを感じた。ダイアナーラの経験でありながら、しかし同時に、経験でもあった……私は……何を……

「ダイアナーラ、私と同行させるため、お前には無理を言いすぎた。お前をそんな危険にさらす権利など、私にはない……」

 それは私の言葉だったが、外科医のような言葉だった。冷たい技術によって選ばれ、感情の痕跡もない。一言ごとに、心の中の嘲笑が感じられた。この打ちひしがれた少女が、その憧れで曇った目で次に何を見るのか、手に取るように分かる。そして、誰が彼女をねじ曲げたのかも—それは。私の言葉だ。それが彼女にとってどれほど強力かも知らず、バリスタから放たれる矢のように胸を貫いたことも知らずに。彼女は……それでも彼女は、私の帰還に安堵しか見出さなかった。どうして……彼女はこんな風に感じ……私の意図を知らずにいられたんだ……?

「お前に許してもらいに来たんだ、ダイアナーラ。私は可能な限り早く、お前の元に戻ってくる—」

 再び視界が引き裂かれ、二重ににじんだ。再び自分自身に対峙し、私は必死に喋ろうとした。ダイアナーラに警告しようとした。彼は人ではない。ダイアナーラのことを気にも留めずに、自分のために殺す化け物だ。お前は彼の道具ではない。彼が必要とする道具では—しかしダイアナーラは喋り、私には止めることができなかった……

「あなたのためなら幾千の危険に飛びこんで、永遠を受け入れるわ! 怖くなんてない! 聞いて—たとえ次元界自体に阻まれたとしても、私はあなたに付いていくわ……」

 粉々に打ち砕かれ、そして安堵と満足を感じた—彼女の言葉に対する、彼の満足を。彼女はそう言うと知っていた。初めから知っていた。その愛の告白は、心の中の落とし格子を下ろすようなものだ。罠にかかった。彼女は私のものだ。しかし、万全を期すべきだ。念入りにくぎを打ちこむべきだ。

「危険な道だ。お前は強くならなければならない……今よりもはるかに」

 彼女の心の中を揺らめく安堵、安堵の波。憧れが終わり、それでも彼の言葉に焦がれている。彼の細工には気づかずに……必要なのは強くなることだけ。そうすれば、彼の道と私の道は一つになる! 思考がまるで炎のよう……私は強くなれる、彼が思うよりも強く。恐怖なんて知らない。彼のためなら、……!

「私は強くなれるわ、愛しのあなた。私は—」

 彼女の言葉は、水のように彼から流れ落ちる。胸の中の蛇、毒牙を心臓に突き立てている蛇が、実体を手に入れた。しかし彼女には見ることができない。そして彼の次の言葉は、注意深く、注意深く計算されたものだった……

「うまくいくかは分からない、ダイアナーラ。しかしお前のことは全力で守ろう。お前もそうだと信じている。お前は……」

「……お前は、犠牲を強いられることになるかもしれない」

 その恐ろしい言葉に、私は再び引き裂かれるように感じた。彼女を傷つけるつもりだ……傷つけるつもりだ。私はだ。彼女を傷つけるつもりだ。傷つける必要があるからだ—私は叫びたかった! 彼女に叫びたかった! 危険だ! 逃げろ! 逃げろ! ダイアナーラ! すべて壊されてしまう! そして

「もちろんよ、愛しのあなた。生は犠牲。私はそう学んだわ」

 私は……彼女は……彼女は……私はそう言って、そして、内なる自分が死ぬのを感じた。私は観客で、一人の女性が死ぬ様を見ていた。その言葉は死刑宣告だった。それでもまだ、まだ彼女は喋り続ける。無防備に、不注意に……

「私……遺産を遺したのよ、愛しのあなた。父が管理しているわ。6番、3番、K、そしてSを請求して。その中に、あなたのためのすべてを遺したわ。多くはないけれど、でもそこに私は……」

 私に……彼に……苛立ちの波が押し寄せた。顔には出さないように、歯を噛みしめる。私が促さないときでさえ、無駄口を叩かなければ気が済まないのか?! 彼女は—いや—駄目だ、苛立ちは胸に秘めておこう。にじませるとしても、わずかだけ……

「だが、私はんだぞ、ダイアナーラ。そんな愚かなことはだろう……」

 彼女は……私は……彼女は恐怖に襲われた。私を不快にしてしまったという恐怖、恐怖が彼女の中で渦巻く……私は、私は彼が眉をひそめるのを目にした。急いで訂正しなければ! 理由を分かってくれるはず、隠された知恵を分かってくれるはず、私の計画に驚くはず! 話さなければ! 彼が背を向ける前に……

「自分がたびたび愚かなことをしてしまうのは知っているわ、愛しのあなた……でも、あなたが言ったのよ。ひどく傷つけば、忘れてしまうかもしれないって。万が一忘れてしまったときに助けになるものが、遺産の中にあるわ」

 彼女を……私は自分の目で、冷ややかに彼女を見つめた。私の視線が、心配と必死さでしわが寄った彼女の額をなぞる。彼女の行動は想定内だ……だが彼女の言葉には、何か引っかかるものがある……

「あるいはな……それでも私は、その遺産に価値あるものがないことを願っている……旅で何かの役に立つかもしれないものを、そんな安全な場所に遺しておいて欲しくはない」

 一瞬だけ、彼女の幻想が砕けた—感情が地面に落ち、水銀塗りガラスのように砕けるのを、私は黙って見つめていた。「……何かの役に立つ……」何気ない言葉だが、ダイアナーラにも見えたはずだ。私は願った。一瞬でも、彼が何であるかを彼女が見たことを……蛇だ、蛇なんだ……そして、私の希望は潰えた。ダイアナーラの瞳の中で感情が再構築され、銀が地面から舞い戻り、幻想が再構成され、わずかな痛みの薄片だけが残った。馬鹿なことをしたと思われてしまった! 彼のためなのに! どうにか……埋め合わせをしなければ。でもどうやって?! 遺産は重要ではないと説得しなければ。でも違う、違う。あれは、なのに……

「愛しのあなた、あの遺産は、その……あなたが思い出すのを助けるための、ちょっとした—」

 言葉の鎌がダイアナーラに振り下ろされた。あまりに速く、あまりに鋭く、軌跡を追うことすらできなかった。

「遺産だと? ダイアナーラ、お前がしたのは……ただの……空想的な行動だ。取るに足らない……」

 違う! 彼女は……私は……ダイアナーラは……また彼を追いやってしまった、昨晩のように! 再び蛇がうごめき、再生し、心臓に巻きつくのを感じた。柔らかいしゅうしゅうという音がする。でも彼には聞こえない……

「あなたは……あなたは遺産を遺したいと思わないの? あなたのために……誰かのために。自分のために……愛した者のために……何か残せば、思い出す助けになるかもしれないわ……」

 再び言葉の鎌が振り下ろされた。厳しく、迅速に。それでも今回は、幻想は壊れなかった。蛇は隠れていた。狡猾な蛇は、打ち倒されるまで姿を見せることはない。

「自分のための遺産? とんでもない……ダイアナーラ、私が自分のために残すものは、唱道者しょうどうしゃの安全な事務所などにはない。だが、この話はもういい……行かなければ」

 彼が行ってしまう! 引き止めなければ……そして私の周囲で、経験が恐ろしく渦を巻き、最後の光景へと進んでいく……質問を、私は……彼女は……訊きたかった。やめろ、ダイアナーラ! 訊くんじゃない! 黙れ! 黙るんだ

「愛しのあなた、その前に……」

 彼の怒り、苛立ち。今度は何だ小娘! 今度は何だ、泣き虫のバンシーめ!

「『その前に』? 今は何の危険もないだろう。ダイアナーラ、朝まで待てないのか? もう十分に—」

 彼女は……私は……彼女は必死に切実に、彼女は彼女は彼女は……私は……言った。

「愛しのあなた、私に一緒に来て欲しいの?」

 心の中の激情がやんだ。これで終わりだ。彼が……私が……語ろうとしていた言葉は真実だった。しかし彼女が見た真実とは違う。嘘はない、あるのは冷酷な計算だけ。もちろん、彼はお前に一緒に来て欲しいのだ、ダイアナーラ。はっきりと理解できる。はっきりすぎるほどに。哀れな少女を連れ出すため、彼は多大な投資をしていた。

「もちろんだ、ダイアナーラ。お前の同行を望んでいなければ、一緒に来るよう頼むことなどない。お前に対する私の気持ちは、知っているはずだ……」

 彼の心の中に、冷たい沈黙が訪れた。しゅうしゅうと音を立てる思考と、短剣の刃のように鋭く致命的な返答。感情にとらわれずに、すぐに嘘が口をついた。

「ダイアナーラ、お前を愛している」

 嘘が閃光せんこうのように彼女に打ち寄せるのを感じ、私は叫ぼうとした! それは真実の影だ! 蛇の口づけだ! 彼は私を傷つけるつもりだ! 彼女には見えていない! 私が叫ぶと同時に—同時に彼女が、喜びで叫んだ

 喜びで叫んだ……苛立ちで叫んだ……喜びで叫んだ……絶望で叫んだ……

 感情が押し寄せる。溺れるように、溺れるように。喋らなければ。喋りたい。しかし、できない……そして……

 叫んだ。叫びながら両手を石から引き剥がす。目から血の涙が流れ、腕を流れ、手を流れ、石の表面を覆う。血だ! 彼女の血だ! 私には……彼女に警告することができない……叫びを止めることができない……

 フォール゠フロム゠グレイスがそこにいた。彼女の手はシルクのように優しく、叫び声が渦巻くのを感じると同時に、目から涙を払ってくれた。血の涙ごと、私の頭を抱きしめてくれた。

「私には……私には……耐えられない……彼女を……止められなかった。止めたかった。でも……!」

 フォール゠フロム゠グレイスが私の瞳を覗きこみ、理解し、悲しそうにうなずいた。

「そしてそれが、変えることも手に入れることもできないものへの欲求が、『憧れ』の本質なのです」

 彼女は私を見つめ、血に濡れた手を離した。

「大丈夫でしょうか?」

「ああ……ああ……時間が、必要なだけだ……」

 私はアンナに見られていることに気づいた。彼女は手を中途半端に上げ、何をすべきか分からず、麻痺してしまったかのように動かない。

「それは何よりです……」

 フォール゠フロム゠グレイスが離れた。

「あなたの準備ができたら、先へ進むとしましょう」

 私は息をつき、考えをまとめようとした。

 こんな経験の記憶は放り出したかったが、覚えておくことが重要だと分かっていたため、しっかりとつなぎ止めた。経験の中にいたのは、だった……ダイアナーラの経験ではあったが、私の経験でもあったため、記憶があふれ出て両方を同時に感じることができたのだ。私は誰だったんだ? あの私のは、誰だったんだ?

 〈催事場〉を離れることも考えたが、他の感覚石に役立つものがあるかもしれない。今しがた終えたような経験があったとしても、続けることにした。同じような経験をすることが、あるかもしれないのだから。


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