プレーンスケープ トーメント 非公式小説

市民催事場

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 フォール゠フロム゠グレイスが、前方の〈市民催事場〉を指し示した。建物へと急いだ私は、危うく一人の女性と二人の連れにぶつかりそうになった。

 その若い女性からは、アルコールの臭いが強く漂っていた。浅黒い肌にもかかわらず、彼女の顔—美しいが、残酷そうに見える—が赤らんでいるのが分かった。細身だが筋肉質で、異国風の宝飾と半透明のシルクの衣服で着飾っている。大腿と前腕には、無数の傷が交差している。戦いの傷であるようだ。彼女の顔に、冷笑があらわれた。

「あらあら……こんなところで何かしらあ? 〈蟲蔵むしぐら〉からはい出てきた、つまらないティーフリングの貧民街の女王さまかしら?」

 女性は口をとがらせ、小さな子供に対するかのように話した。

「小さなティーフリングちゃん、迷子なのかしら? まあ、見て! 尻尾があるわ! なんて……可愛いのかしら!」

 アンナは真っ赤になり、うなり声を上げながら拳から刃を突き出した。

「まあ、フィーンド族、そんなことはやめなさい」

 女性はアンナが武器を構えても平気そうで、非難がましく舌を鳴らした。

「気をつけなさい。さもないと尻尾を引っこ抜いて、犬のエサにするわよ」

 フォール゠フロム゠グレイスが声を上げた。

「サーハヴァさん? サーハヴァ・ヴュールさん、あなたなのですか?」

 女性は一瞬混乱したようだが、フォール゠フロム゠グレイスを認識した。彼女は驚き、まごついた。

「グレイス先生! 気づきませんでした……なんと恥ずかしいことでしょう、あなたほど高貴な存在は、どんな愚か者にも明らかだというのに」

 フォール゠フロム゠グレイスはわずかにうなずいた。

「ごく最近聞いた台詞とは異なり、とても巧みに言葉を選んでいるようですね」

 サーハヴァは恥じ入った。

「ええ、先生……あなたの前であんな言葉を話したこと、後悔しています」

「あのような言葉が話されたこと、わたくしも後悔していますよ」

 彼女の口調の変化はわずかだった。しかしそのとらえがたい叱責が、女性の顔を鞭のように裂いた。

「かつての生徒があのように振る舞うのを見るのは、痛ましいものです……」

 フォール゠フロム゠グレイスは続けた。

「彼らは共に旅する仲間たちです。わたくしに対するのと同じ礼儀が払われることを期待しています。それがあなたたちの……高貴な生まれの証明であり、責務でありましょう」

 アンナはグレイスとサーハヴァを猛烈ににらみつけている。

 サーハヴァは深々と頭を下げた。

「では謝罪をさせてください、グレイス先生、あなたとあなたの友人たちに。言葉の選択が、適切ではありませんでした。あのようなでたらめを言ってしまったのは、お酒のせいなのです。かつての教師の前で申し訳ないことをしてしまったと、恥ずかしさでいっぱいです」

 彼女は背を向け、立ち去った。

 私たちが〈催事場〉の正面扉から入った時、他には誰も邪魔しようとしなかった。そこは巨大な広間だった。右手側に、開かれた扉がある。歩き回る人々の中で、私たちの真っ正面にいる背の高い男が、広間を睥睨へいげいしていた。私は彼に近づいた。

 そびえ立つ男の金色の皮膚が、金属のようにわずかに輝いている—それが彼の肉体なのか、塗料なのかは分からない。彼は近づく私を冷静に見つめ、そして丁寧なお辞儀をした。

「旅人よ、〈市民催事場〉へようこそ。我々はスプリンター、〈催事場〉とウルの祭祀王のための玄関番です。どういったご用件でしょうか?」

 控えめな助力の申し出にもかかわらず、彼の声は力強く威圧的で、会館じゅうにごろごろと響いた。私はどんな助けが受けられるのかと尋ねた。

「我々はこの素晴らしい会館で、多くのことをしています。来客が会館やその居住者に関して持つであろう質問に答え、訪問者と全感覚協会のメンバー両方に、感覚器館かんかくきかんもしくは講堂への道をお教えします。我々はまた、協会の新たなメンバーを受け入れています。最後に、我々を通して協会の倉庫の品物を購入することもできます……呪文や物品などを」

 気になったので、彼自身について訊いてみた。彼はこう答えた。

「まだ伝えていないことで、話せることは多くありません。我々はスプリンター、〈催事場〉、イシャールの半神デミゴッドの息子およびウルの祭祀王のための玄関番です。次元渡りが我々の世界を訪れ、全感覚協会のことを伝えました。我々は魅了され、彼らと共に戻りました。一時的にこの場所に来て、“隷属”と“謙遜”を学ぶために。ウルのことは、辣腕家である我らが女王の手に委ねました。ウルとは時の流れが異なるため、ここで一世紀を過ごしても、我々の世界ではほんの数ヶ月に過ぎません。あと10年ほどすれば、ウルへと戻り再び支配する準備ができるだろうと、心に描いています」

 次に〈催事場〉の構造を尋ねた。彼は会議室と研修室の場所を説明し、記録された感覚を経験するために感覚器館かんかくきかんに向かうには、手続きが必要だと話した。以前バーキング・ワイルダーから聞いた、〈催事場〉にある私の部屋のことを思い出した。会館で部屋を手に入れる方法について訊くと、スプリンターは全感覚協会のメンバーになる必要があると答えた。しかし私はちょうど、かつてメンバーだったと知ったところだ。

「すでに感覚者かんかくしゃだったとしたらどうなる? 長らくここには来ていなかったが、確かだ……私は感覚者かんかくしゃだったんだ」

 スプリンターはずいっと腰を曲げ、私を詳しく調べた。

「あなたには見覚えがありません……しかし我々には、あなたの舌から嘘が滴り落ちているとも思えません。いいでしょう。全感覚協会のメンバーのみに許される特権へのアクセスを認めましょう……もしあなたが、最近集めた感覚を我々に示すことができればですが。我々は五つの感覚を求めます。それぞれが、体の感覚器に属するものを……もしくは、強い五感の要素を含む一つの感覚でも構いません」

 ちょうどいいものがあった。

「提供できる経験が一つある。私は〈葬儀場〉の内部の、冷たい血塗れの鉄の死体置台スラブで、自分の居場所も分からずに目覚めたんだ。塵人ちりびとと彼らが世話する死体だけがいる場所で……」

「体全体から防腐液の臭いがしたが、周囲の銅のような血の悪臭にまさるものではなかった。私が起きたような無数の死体置台スラブに、何十もの死体が横たわり、そのすべてが腸を抜かれ、皮をはがれ、目的も分からない悪夢のような時計仕掛けの装置で処理されていた。聞こえたのはアンデッドの労働者の不規則な足音と、彼らが錆びた鉄の線路の上で死体置台スラブを押して運ぶ、ぎこちない金属のきしみだけだった」

 彼はうなずいた。

「心を乱される経験ですね」

 私は答えた。

「さらに死体置台スラブから立つやいなや飛んできた、お喋りな頭蓋骨の話もある。これで十分か、スプリンター?」

 彼は私に、全感覚協会のメンバーと同じ権限を認めてくれた。

 メインホールを離れて、いくつかの部屋を回った。〈売春宿〉のジュリエットの恋人に偶然出会ったため、偽のラブレターで彼を嫉妬させるという彼女の頼みを果たした。少なくとも、果たそうとした。少しトラブルの兆しが見えただけで、彼は彼女を諦めるつもりらしい。思っていたよりも、お似合いの二人なのかもしれない。

 またドローラのために、辛辣で偏屈な老人メリマンから、彼女の心の鍵を手に入れた。当然ながら、まずはメリマンの手伝いをしなければならなかった。いくらか混乱しているときは、メリマンもずいぶん好ましい人物だと思えた。

 さらに、ジャンブル・マーダーセンスにも出会った。少し苦戦したものの、〈蟲蔵むしぐら〉で会った語り部リークウィンドの呪いを解くよう説得することができた。

 探索を続けて、〈催事場〉の奥に客室エリアを見つけた。そこの事務官と話し、私の部屋の鍵を差し出されて驚いた。彼女は、その鍵は私の部屋のものだと台帳に記されているのだ、とだけ説明した。部屋は長い時をかけて、適切な時を待っていたのだ。

 部屋に入ると、最後に使用してから何十年も経っているはずなのに、綺麗に保たれているように見えた。棚の中の多くの普通の品物の中に、異彩を放つものがあった。両手の拳を合わせたほどの、重々しい十二面体だ。なぜか見慣れたものに感じる。冷たく滑らかな質感だが、金属なのか石なのか分からない。すぐにでも空中に飛び出す準備ができているかのように、実体のない“張力”に確かに覆われている。

 よく調べてみると、十二面体の各面が、時計回りあるいは反時計回りに回転するプレートであることが分かった……パズル箱、あるいは組み合わせ錠のようだ。五角形のプレートのそれぞれが五つの角度に合わせられるため、この十二面体には2億4414万625通りもの“設定”がある。1秒に1パターン試せば、すべての組み合わせを調べるのに77年余りもかかる—しかし私は、運がよければ数分で正解に行き着くかもしれないと気づいた……

 十二面体の冷たい灰色の面を丁寧にねじっていると、頭蓋骨の下に奇妙な感覚が生じた。両手が自発的に動き、機械のような精確さで十二面体を回し、各面を回転させていく。以前同じことをしたことがある……かつては正しい組み合わせを知っていた……そしてこの物体の中に、確かな危険があることにも気づいた。しかしそれが単純な罠なのか、それとも超常的な何かなのかは思い出せなかった。

 しばらくして、最初の四つの面は正しい角度にできたようだ。十二面体の五つ目の面をねじりはじめたとき、指を切り取る刃が飛び出る狡猾な罠のことを思い出した。適切な回転数で罠を避けつつ、この物体の秘密を解き明かす工程を進めることができたと確信した。

 十二面体の飛び出る刃を避けた後、以降の面の角度をゆっくりと解き明かしていった。九つ目の面を回しはじめたとき、突然二つ目の罠を思い出した—周囲に致命的な腐食性の蒸気渦巻く雲を形成する、毒ガスの噴射だ。正しい数だけ回して罠を迂回しつつ、この十二面体を解き明かす時は近いと確信した。

 ついに最後の面に取りかかりはじめた。十二個目の五角形を所定の角度に合わせていると、内部に隠された魔術のルーンが、うっかり者を魔法の稲妻で貫く可能性があることを思い出した。面を回す回数を間違えずに罠を無効化し、十二面体がカチリと音を立て、手の中で開きはじめた……

 十二面体が一度、二度割れて展開し、やがて大きな本ほどの大きさの完全な長方形の平板になった。その表面に刻まれているのは、一連の奇怪なシンボルだ。その記号、あるいは言語は、私にとって見慣れたものであるはずだと思ったが……それは違った。さらに平板を調べると、裏にある五角形の面を回転させることで、表面に異なる“ページ”が表示されることに気づいた。私はようやく、この十二面体がある種の本または日記であることを悟った。

 目の前に以前の私によるメモを持っていながら読めないことに、苛立ちを感じた。しばらくのあいだ、いたずらに心の奥底からこの文章の秘密を引き出そうとしていた。そしてぶつぶつと不平をもらしながら日記をしまい、部屋を後にした。

 〈催事場〉のメインエリアに戻った。ちょうどいくつかの講義が、それぞれの部屋で始まったところだった。


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