プレーンスケープ トーメント 非公式小説

芸術と骨董の美術館

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 近くで食事をした後、書き物屋区の探索を続けた。歩いている時にフォール゠フロム゠グレイスが、よりにもよってアンナに話しかけ、彼女の性格を垣間見ることができた。

「アンナさん……アンナさんは、〈蟲蔵むしぐら〉で育ったのですか?」

 フォール゠フロム゠グレイスの声は穏やかで、敵意の欠片もない。

「あんたには関係ないでしょ、サキュバス。あんたに話すことなんて、なんにもないわ」

 アンナは声に怒りをにじませて、苛立たしげに答えた。

「それでしたら、答えなくて構いません」

 フォール゠フロム゠グレイスの質問は、一人の感覚者かんかくしゃの経験に対する欲求を超えたものに思えた。彼女は信奉する哲学に真剣に取り組んでいて、誰にでも礼儀正しさと配慮を示したいと望んでいるのだ。

 ある街路を歩いている時にフォール゠フロム゠グレイスが、この建物は〈芸術と骨董の美術館ガレリア〉だと話した。その中には、えり抜きの彫刻や絵画が展示されていた。

 特に絵画のひとつが気になった。奇怪なかぎ鼻の老婆の肖像画だ。この妖婆ハグの肉体は病的な青がかった灰色で、消えかかった残り火のように瞳が赤く輝いている。あごが長く鋭く突き出ていて、黄色い犬歯が小さな牙のように下あごから上に伸びている。しおれた紫色の唇の笑みが、恐ろしい秘密を語っているかのようだ。銘板には『オイノスの灰色の妖婆グレイ・ハグ』と書かれていた。

 絵画に背を向けようとした時、何かが私の注意を引いた……心の後ろが奇妙にうずく……記憶が浮上しはじめる……

 困惑しながらいばらの迷路の中に立っていることを思い出した。絵画の恐ろしい老婆が目の前にいて、ヒヒヒヒと笑っている。私はなぜ笑われているのかいぶかしみ、苛立ちに歯を食いしばった。

「哀れで可愛い愛しいおとこ!」

 彼女が口ずさむ。

「そいつはおまえの、願いだよ!」

 彼女は、骨張ったかぎ爪で私の額を指した。こめかみがズキズキと脈打ちはじめる……そして、それ以上は何も思い出せなかった。

 美術館ガレリアのオーナーであるイヴァナと話した。桃色と金色の糸のガウンを着た、身なりのいい年配の女性だ。彼女は静かに立ち、両手を上品に重ねていた。彼女には、瞳がなかった—眼全体が白色なのだ。

 私が美術館ガレリアの作品について訊く前に、彼女にこう頼まれた。

「少々お待ちください……あなたの声には、齢と傷の重みがありますね。顔をお触りしても、構わないでしょうか?」

「ああ、どうぞ」

 イヴァナは微笑み、老いた両手を私の顔に優しく走らせた。彼女は眉をひそめ、少し困惑しているように見える。

「なんという数の傷でしょう……古いものも、新しいものも。これは……」

 彼女は私の喉の横に触れ、紅潮して手を離した。

「すみません。どこまで続いているのか、知りたくなってしまいまして」

「大丈夫だ。傷は至る所にある。全身が傷だらけなんだ」

 彼女がうなずいて促し、私がまったく見えないのかと尋ねた時に、フォール゠フロム゠グレイスが口をはさんだ。

「この方は外的要因ではなく、自ら進んで盲目になっているのだと思います」

 イヴァナは微笑み、うなずいた。

「ご友人の言うとおりです……私は目が見えませんが、それはそう望んだからなのですよ。やがて視力を戻し、新たな新鮮な目で美術館ガレリアの展示物を再体験するのです」

 美術館ガレリアについて尋ねた。

「次元界の美術館ですよ」

 彼女は微笑を浮かべ、周囲を身ぶりで示した。

「これらの作品は、あまねく場所から持ちこまれたものです。私はそのいくつかをお売りして、いくつかを保存して—そしてある時期に展示するのです。どうぞお楽しみください……そしてもう一度、作品に関するご質問があれば、お気軽に尋ねてくださいね」

 私が『オイノスの灰色の妖婆グレイ・ハグ』について訊くと、彼女はそれが妖婆ハグのラヴェル・パズルウェルを描いたものだと裏付けた。美術館ガレリアの他の作品についても尋ねてみた。

『アルカディアのステンドグラス』

 このステンドグラスの窓を構成する何百もの半透明の緑ガラスの小片は、何かによって接合されているようには見えず、鉄の枠の境界の中で奇妙に浮遊しているようだ。破片がゆっくりと波打ち、それぞれが美術館ガレリアの光を異なる方向に反射することで、窓の表面の奇怪な模様が変化していく。

 イヴァナはこう解説した。

「三十二年前に、アルカディアの第三層で浮かんでいるところを発見されたステンドグラスの窓は、まだ起きていない光景を予告していました。その出来事が起きた後、その絵は消えて、今ご覧いただいているものが残ったのです。これはアルカディアの〈夜と昼の宝珠〉の光と闇の両方を取りこんで、それをゆっくりと放出することで、短いながらもゆったりとした夜明けと夕暮れを作り出しているのだと信じられています—そのガラス自体の中に」

「アルカディアは平和な秩序の次元界で、完璧なる善の地とも呼ばれています。〈夜と昼の宝珠〉はアルカディアの最高峰に置かれた球体で、半分ずつが光と闇を放出しています。その〈宝珠〉が回転することで、アルカディアに昼と夜をもたらしているのです」

『アケロンの角笛』

 真鍮しんちゅうの鎖が巻かれた、鉛細工の巨大な角笛。途方もない力に押し砕かれたかのように、傷だらけになっている。側面からギザギザの刃が突き出ていて、巨大な生き物が棍棒として使うためのものでもあるようだ。

 イヴァナはこう解説した。

「あら、〈洗浄の角笛〉ですね……アケロンの立方体から直接取り出した金属による、鉛細工の角笛です。最後に〈洗浄の角笛〉が鳴り響いたのは、ジャッカルの一味とえぐれ眼族が〈紛争の地〉の戦場でまみえた時だと言われています。伝説によれば、この角笛の力が戦いの終わりに使われ、浮遊する立方体を引き寄せてジャッカルの退路を断ったのだそうです」

「アケロンは厳しく秩序を強いられる次元界で、そこでは善よりも調和のほうが重要になります。アケロンの無限の虚無には、巨大な金属の立方体が漂っています……多くの立方体は、その表面に都市や王国全体を構築できるほどに大きいのですよ」

『オカントゥスの黒鳥』

 この華麗な台座が発している冷たい風の中で、黒水晶—あるいは氷—の破片が渦を巻いている。それぞれの破片は鋭く、触れたりつかんだりするのは危険だろう。

 イヴァナはこう解説した。

「これらはすべて、オカントゥスの次元界の黒き腹部にある膨大な黒い氷床からはがれたものです。この氷床はステュクス河が行き着く場所だと言われていまして、記憶を破壊するステュクス河の水に沈んだすべての追憶が、未だ氷の中で凍っているそうです」

『ルビーの小像』

 翼ある人の形に彫刻された像が、台座の上に置かれている。その性質は悪魔か天使のどちらかだろう……しかし美術館ガレリアの光が奇妙に屈折していて、判別が難しい。この小像が何であるのかを示す掲示はない。

 イヴァナはこう解説した。

「この作品はエリュシオンの第一階層、安らかなるアーモリアの肥沃な土地にある、オケアノス河に隣接した大聖堂で見つかりました。作品の名前は知られていませんが、その熟練の技術と技能は、次元界において最も印象的な宝石細工だと信じられています。切り子面を通して光をとらえ、蒸留し、増幅することも、息をのむような驚異の一端でしかありません。多元宇宙における最も邪悪な存在と最も純粋な存在の、観念的なつながりを示唆しているのかもしれません……非常に魅力的な作品ですね」

『キュトンの動く鎖』

 ひとりでに絡まり、そしてほどけている血まみれの鉄の鎖。蛇の背骨のように曲がり、縫うように進んでいく。

 イヴァナはこう解説した。

「次元界バートルの第三層ミナウロスにぶら下がる鎖の都市、鎖鳴音さなりねに由来するものです。その鎖はこの多元宇宙において最も精緻なものですが、鎖鳴音さなりねの住人は意地悪く残忍で、都市に入ってくる者や法を犯した者に対する生きた武器として、鎖を使っています」

「キュトンは、蜘蛛の巣の上の蜘蛛のように鎖の都を移動し、体の周りにしっかりと鎖を編みこんで着飾っています。〈鎖の恩恵〉と呼ばれる力を有していて、念じるだけで鎖を動かすことができるのです。この美術館ガレリアにある鎖は、制御していたキュトンが戦闘のさなかに呪われたハンマーで殺されたのだと信じられています……その命の真髄が、鎖の中を流れているのだと」

『叫ぶ男の像』

 この像は、何らかの怒りの宣告をしようとしているように見える。その激怒の本質を、彫刻家が見事にとらえている。首と額の筋の彫りを調整するだけで、何ヶ月もかかったに違いない。細かい亀裂が、像全体に広がっている。

 イヴァナはこう解説した。

「この像は、イセルセリアンのソーサラー、ギャングロイハイドンの最終的な運命だと信じられています。その夢のような狂気の絶頂期に、ライバルのソーサラーの秘密会議コンクラーベに襲われ、呪文によって封じられて肉体が石に変わったのだと。ギャングロイハイドンは、最後の恐ろしい呪いをまだその唇にとどめているのだと言われています。生者の口から放たれるべきものではないほどの、実に恐るべき呪いを」

「その呪いの怒りは、聞いた者の肉体に水ぶくれを生じさせて骨からはがし、岩さえも粉々に砕くほどだと言われています」

『辺境の襲撃者』

 血のような赤い空にそびえ立つ、黒い絶壁の絵画。崖の岩のあいだに隠れている姿があるように見えたが、目を細めて認識しようとしても、像がぼやけて溶けてしまう。

 イヴァナはこう解説した。

「興味深い作品でしょう? 崖の影の中の姿に、画家がとても面白い効果を組みこんだのです。この作品を持ちこんだ女性は、アウトランズの捨てられた野営地で見つけたと言っていました……作者は見つかっていません。おそらく、この絵画にとらえられた襲撃者に殺されたのでしょう」

『ウドの愚行』

 暗い街並み、焦土と化した巨大な文明の中心地の遠景の絵。しかしながら、街路は空っぽだ。兵士も、避難民も、死体さえもない。

 イヴァナはこう解説した。

「主要世界ゴーハの伝説のひとつを描いたものです。ウドは技と力をそなえた魔術師の王で、自らを神威かむいに変え、自らの大国の民を神の下僕に変える呪文を唱えようとしたのです。呪文の完成と共にウドの宮殿の周囲に雷が落ち、それがやむと、都市は空になっていました……生者は一人も見つかりませんでした。七千人以上の人々が、痕跡も残さず、一瞬にして消失したのです。ウドや彼の民の運命は、誰にも分かりません」

『モクックマの城壁から垣間見た世界』

 注視しているとのたくり波打つ、緑色と紫色の抽象的な絵画だ。

 イヴァナはこう解説した。

「モクックマはリンボの次元界に浮かぶ、ギスゼライの要塞です。この絵を描いた混沌学者ダイは、狂気に侵されるまでは、見たものを完璧に記憶することができたそうです」


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