近くで食事をした後、書き物屋区の探索を続けた。歩いている時にフォール゠フロム゠グレイスが、よりにもよってアンナに話しかけ、彼女の性格を垣間見ることができた。
「アンナさん……アンナさんは、〈
フォール゠フロム゠グレイスの声は穏やかで、敵意の欠片もない。
「あんたには関係ないでしょ、サキュバス。あんたに話すことなんて、なんにもないわ」
アンナは声に怒りをにじませて、苛立たしげに答えた。
「それでしたら、答えなくて構いません」
フォール゠フロム゠グレイスの質問は、一人の
ある街路を歩いている時にフォール゠フロム゠グレイスが、この建物は〈芸術と骨董の
特に絵画のひとつが気になった。奇怪なかぎ鼻の老婆の肖像画だ。この
絵画に背を向けようとした時、何かが私の注意を引いた……心の後ろが奇妙にうずく……記憶が浮上しはじめる……
困惑しながら
「哀れで可愛い愛しいおとこ!」
彼女が口ずさむ。
「そいつはおまえの、
彼女は、骨張ったかぎ爪で私の額を指した。こめかみがズキズキと脈打ちはじめる……そして、それ以上は何も思い出せなかった。
私が
「少々お待ちください……あなたの声には、齢と傷の重みがありますね。顔をお触りしても、構わないでしょうか?」
「ああ、どうぞ」
イヴァナは微笑み、老いた両手を私の顔に優しく走らせた。彼女は眉をひそめ、少し困惑しているように見える。
「なんという数の傷でしょう……古いものも、新しいものも。これは……」
彼女は私の喉の横に触れ、紅潮して手を離した。
「すみません。どこまで続いているのか、知りたくなってしまいまして」
「大丈夫だ。傷は至る所にある。全身が傷だらけなんだ」
彼女がうなずいて促し、私がまったく見えないのかと尋ねた時に、フォール゠フロム゠グレイスが口をはさんだ。
「この方は外的要因ではなく、自ら進んで盲目になっているのだと思います」
イヴァナは微笑み、うなずいた。
「ご友人の言うとおりです……私は目が見えませんが、それはそう望んだからなのですよ。やがて視力を戻し、新たな新鮮な目で
「次元界の美術館ですよ」
彼女は微笑を浮かべ、周囲を身ぶりで示した。
「これらの作品は、あまねく場所から持ちこまれたものです。私はそのいくつかをお売りして、いくつかを保存して——そしてある時期に展示するのです。どうぞお楽しみください……そしてもう一度、作品に関するご質問があれば、お気軽に尋ねてくださいね」
私が『オイノスの
『アルカディアのステンドグラス』
このステンドグラスの窓を構成する何百もの半透明の緑ガラスの小片は、何かによって接合されているようには見えず、鉄の枠の境界の中で奇妙に浮遊しているようだ。破片がゆっくりと波打ち、それぞれが
イヴァナはこう解説した。
「三十二年前に、アルカディアの第三層で浮かんでいるところを発見されたステンドグラスの窓は、まだ起きていない光景を予告していました。その出来事が起きた後、その絵は消えて、今ご覧いただいているものが残ったのです。これはアルカディアの〈夜と昼の宝珠〉の光と闇の両方を取りこんで、それをゆっくりと放出することで、短いながらもゆったりとした夜明けと夕暮れを作り出しているのだと信じられています——そのガラス自体の中に」
「アルカディアは平和な秩序の次元界で、完璧なる善の地とも呼ばれています。〈夜と昼の宝珠〉はアルカディアの最高峰に置かれた球体で、半分ずつが光と闇を放出しています。その〈宝珠〉が回転することで、アルカディアに昼と夜をもたらしているのです」
『アケロンの角笛』
イヴァナはこう解説した。
「あら、〈洗浄の角笛〉ですね……アケロンの立方体から直接取り出した金属による、鉛細工の角笛です。最後に〈洗浄の角笛〉が鳴り響いたのは、ジャッカルの一味と
「アケロンは厳しく秩序を強いられる次元界で、そこでは善よりも調和のほうが重要になります。アケロンの無限の虚無には、巨大な金属の立方体が漂っています……多くの立方体は、その表面に都市や王国全体を構築できるほどに大きいのですよ」
『オカントゥスの黒鳥』
この華麗な台座が発している冷たい風の中で、黒水晶——あるいは氷——の破片が渦を巻いている。それぞれの破片は鋭く、触れたりつかんだりするのは危険だろう。
イヴァナはこう解説した。
「これらはすべて、オカントゥスの次元界の黒き腹部にある膨大な黒い氷床からはがれたものです。この氷床はステュクス河が行き着く場所だと言われていまして、記憶を破壊するステュクス河の水に沈んだすべての追憶が、未だ氷の中で凍っているそうです」
『ルビーの小像』
翼ある人の形に彫刻された像が、台座の上に置かれている。その性質は悪魔か天使のどちらかだろう……しかし
イヴァナはこう解説した。
「この作品はエリュシオンの第一階層、安らかなるアーモリアの肥沃な土地にある、オケアノス河に隣接した大聖堂で見つかりました。作品の名前は知られていませんが、その熟練の技術と技能は、次元界において最も印象的な宝石細工だと信じられています。切り子面を通して光をとらえ、蒸留し、増幅することも、息をのむような驚異の一端でしかありません。多元宇宙における最も邪悪な存在と最も純粋な存在の、観念的なつながりを示唆しているのかもしれません……非常に魅力的な作品ですね」
『キュトンの動く鎖』
ひとりでに絡まり、そしてほどけている血まみれの鉄の鎖。蛇の背骨のように曲がり、縫うように進んでいく。
イヴァナはこう解説した。
「次元界バートルの第三層ミナウロスにぶら下がる鎖の都市、
「キュトンは、蜘蛛の巣の上の蜘蛛のように鎖の都を移動し、体の周りにしっかりと鎖を編みこんで着飾っています。〈鎖の恩恵〉と呼ばれる力を有していて、念じるだけで鎖を動かすことができるのです。この
『叫ぶ男の像』
この像は、何らかの怒りの宣告をしようとしているように見える。その激怒の本質を、彫刻家が見事にとらえている。首と額の筋の彫りを調整するだけで、何ヶ月もかかったに違いない。細かい亀裂が、像全体に広がっている。
イヴァナはこう解説した。
「この像は、イセルセリアンのソーサラー、ギャングロイハイドンの最終的な運命だと信じられています。その夢のような狂気の絶頂期に、ライバルのソーサラーの
「その呪いの怒りは、聞いた者の肉体に水ぶくれを生じさせて骨からはがし、岩さえも粉々に砕くほどだと言われています」
『辺境の襲撃者』
血のような赤い空にそびえ立つ、黒い絶壁の絵画。崖の岩のあいだに隠れている姿があるように見えたが、目を細めて認識しようとしても、像がぼやけて溶けてしまう。
イヴァナはこう解説した。
「興味深い作品でしょう? 崖の影の中の姿に、画家がとても面白い効果を組みこんだのです。この作品を持ちこんだ女性は、アウトランズの捨てられた野営地で見つけたと言っていました……作者は見つかっていません。おそらく、この絵画にとらえられた襲撃者に殺されたのでしょう」
『ウドの愚行』
暗い街並み、焦土と化した巨大な文明の中心地の遠景の絵。しかしながら、街路は空っぽだ。兵士も、避難民も、死体さえもない。
イヴァナはこう解説した。
「主要世界ゴーハの伝説のひとつを描いたものです。ウドは技と力をそなえた魔術師の王で、自らを
『モクックマの城壁から垣間見た世界』
注視しているとのたくり波打つ、緑色と紫色の抽象的な絵画だ。
イヴァナはこう解説した。
「モクックマはリンボの次元界に浮かぶ、ギスゼライの要塞です。この絵を描いた混沌学者ダイは、狂気に侵されるまでは、見たものを完璧に記憶することができたそうです」