プレーンスケープ トーメント 非公式小説

物語を追う者

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 売春宿における巡回の、最後の部屋に入った。中では魅惑的な若い女性が、柔らかい海緑色の瞳で遠くを見つめていた。

 部屋に入った私に、彼女が答えた。

「こんにちは。私はイヴ、〈物語を追う者テイル゠チェイサー〉よ」

 モーテが意地悪く言った。

「なんて偶然だ! オレも〈女尻を追う者テイル゠チェイサー〉だぜ!」

 イヴは動じることなく続けた。

「物語を取引しに来たの?」

 まず質問があった。例えば、彼女のあだ名について。

「むかしむかし一人の少女が、多くを知ると噂される神託者に出会い、恩寵おんちょうを求めました。人生の指針を必要としていた彼女は、目的を与えるよう神託者に頼んだのです……」

「さて、神託者は邪悪ではありませんでしたが、酒飲みのがあって、判断力と集中力に多くの問題を抱えていました。少女の質問に対する答えは、彼女が一生のうちに聞く物語の中に、求める真実があるだろう、というものでした。少女は物語を追い求めました。何千もの物語の、どれが真実かも分からずに」

「これすなわち、愚かな質問の危険性と口を閉ざす者の賢さの物語です」

 この〈売春宿〉の物語は知っているだろうか。

「この場所について話してくれないか?」

「それはグレイス先生の物語だから、語るのは私じゃないわ。晩年になったら話してくれると言ってたわね……誰にも話さないと私が誓ったら、だけど」

「先生は望んでないのよ。その前に自分の物語を見つけて、この場所を離れて欲しいって。もう知ってることに従わないで真実を探して人生を浪費してしまうのを、心配してるんだと思うわ」

 イヴはそっとため息をついた。

「でも、仕方ないことなのよ」

 匂いとヴェールについても訊いたが、彼女は何も知らなかった。しかし、マリッサに関する物語は知っていた。

「むかしむかし、英雄たちと子供じみた神々の世界に、三人の姉妹がいました。恐ろしい外見を持ち、その地の人々から悪魔と思われ、絶えず敬遠されていました。その一人が、姉妹と共にいたいと願いながらも、その世界を離れました……しかしそれは、狭量な万神殿が、狭量な自分に変わっただけなのでした」

 彼女の知識に感銘を受けた私は、夜の妖婆ナイト・ハグのラヴェルの物語を求めた。彼女はすでに物語を一つ用意していた。

「子供たちを怖がらせる、ラヴェル・パズルウェルの物語。質問で始まり、質問で終わる物語。『人の本質を変えるものは何だ?』」

「彼女だけが持つ奇妙な魔法を求めて近づく者たちに、彼女はしばしばこのなぞなぞを出しました。皆が答えようとしましたが、無駄でした……間違った答えの代償は、恐ろしい運命でした。犠牲者が増えるごとに、さらに恐ろしい運命に見舞われました。犠牲者の苦悩を物語ることは、悪夢の織り糸を語るに等しいことでしょう」

「このような説が思い浮かびます。ラヴェル自身も答えを知らず、答えを渇望しているのではないか。すると、だけが残ります。〈灰色の姉妹〉の一人にとって、特にラヴェルのような神威かむいにとって、なぜ人の本質が問題なのでしょうか?」

「彼女は〈苦痛の貴婦人レディ・オヴ・ペイン〉にも、この質問を投げかけたと言われています。〈貴婦人レディ〉の答えを求めて間接的に、シギルに対して叫ぶことによって。返答がないことが分かると、彼女は恐ろしい魔法を編み上げて鳥籠とりかごを開き、次元界の猛威を波のように呼びこもうとしました」

「彼女が受け取った答えは、追放だけでした。今日まで、誰もラヴェルの質問の答えを知りません……そしてラヴェル自身がこの次元界から消えた今、進んで答えようとする者もいません」

 別の質問をしようとしたが、彼女が割りこんだ。

「待って……まだあるの。私の物語はラヴェルの消滅で終わるけど、あの妖婆ハグはまだ生きてると主張する人もいるのよ。ここにいる無口な娼婦が、前にそんなことを話してたけど、もう彼女は喋らないわ。もし喋ったら、ラヴェルについてもっと教えてくれるでしょうね」

 その無口な娼婦について、他に知っていることを尋ねた。

「エコーのこと?」

 イヴは考えこんで眉をひそめた。

「口にすれば多元宇宙が滅ぶ言葉を知ってる少女の物語を、聞いたことがあるわ。おそらくそれがエコーよ。でも、詳しくはドローラに訊いて……彼女は時々、喋るのをやめる前のエコーを知る人と会ってるはずよ」

 私は彼女が〈売春宿〉で具体的に何をしているのか話すよう求めた。

「物語を集めて、誰かの物語と交換してるの」

 彼女との物語の取引を、最初の記憶から始めることにした。塵人ちりびとの〈葬儀場〉で目覚めた話を伝えると、イヴは身を乗り出した……一言一句に食い入るかのように。話し終えると、彼女は微笑んだ。

「この物語は覚えておくわ。私も塵人ちりびとの話をするわね—『塵の章』を」

「永遠の境界へと消えるすべての生者を記録する塵人ちりびと の巨大な書物は、章分けされているのです。その本には、塵に過ぎない章があります。そこに書かれた名前は死ぬことのできない魂であり、歴史自体が死に、彼らの消滅を叶えるまで、永遠に生を忍ぶのだと信じられています」

 彼女のために、別の物語を用意した。出産する路地の話だ。話し終えると、彼女は微笑んだ。

「この物語は覚えておくわ。私も物語をもう一つ。でもその前に、一つ質問よ。あなたはモドロンが何か知ってる?」

 私の肯定を受けて、彼女は続けた。

「なら『クアドロンと時計』の物語を始めるわね」

「むかしむかし、一体のモドロンがいました。造られたばかりで論理回路は新しく、まだテストされていません。彼は上位のモドロンの命令で、シギルにやって来たのです」

「彼が知っていたのは命令と指令、上位者の命令の伝達と服従だけでした。何しろモドロンたちは、直接の上位者の命令しか認識しないのです—それ以上の権限については、彼らは何も分かりません。この個体が生まれるまでは」

「ある日、彼は小さなお店にやって来て、もう時を刻まない小さな時計を見つけました。ふちに沿ってひび割れて、針を回す歯車は壊れています。モドロンは、すぐさま時計を直す仕事を始めました」

「新しい木枠を作り、曲がりバネを取り替えて、時計仕掛けの部品を注意深く磨き、油を差し、薄い金属から新しい針を切り出しました。直ったばかりの時計の音は、メカヌスの巨大歯車を思い起こし、彼を何よりも慰めたのでした」

「彼には理解できませんでしたが、彼は直した時計を愛していたのです。そうして自分でも説明できない理由でシギルに留まることを選び、残りの日々を時計と共に暮らしましたとさ」

 私は冒険譚の残りを伝え、彼女は代わりに以下のような物語を語った。

『門前の請願者せいがんしゃ

「〈牢獄〉の門で遠くから何かを叩く音が聞こえた時には、頂天ちょうてんをずいぶんと過ぎていました」

「カールス党閥とうばつでは有名な古株の慈殺者じさつしゃ—は、持ち場から重い足を引きずって広間を通り、罪人を外界から隔てる巨大な門に向かいました。門についた彼が話しかけても、音はやみません」

「呼びかけても答えはありません。危険は感じないものの、奇妙な抗いがたい感覚がして、彼は門を開きました」

「戸口の向こうで、やつれた人が両膝をついていました。門を叩く両手から血を流し、苦しそうにあえいでいます。牢獄の中からまたたく光が石畳にそそがれ、出入り口に立つ慈殺者じさつしゃを一目見た彼女は、安堵の涙を流しはじめました」

「その女性を見たカールスは、自分の性を強く意識して、その存在に心を乱されました。彼は何を言うべきか分からず、女性の説明を待ちました」

「彼女は説明しました。それは単純ながらも極めて重要な言葉で、カールスは……一挙手一投足に痛みを感じながら膝を曲げ……屈みこんで女性が立ち上がる助けをしました。彼は彼女を中に入れ、優しく通路へと導きました」

「彼女は、不義がなされたと話したのです。カールスが聞くべきことは、それだけでした」

「結局、彼女は復讐の女神フューリーとしての義務を果たすことができませんでした。恐ろしい犯罪を行った男は、罰せられることなく死んだのです。彼女は任務に失敗しました。彼女はカールスと慈殺者じさつしゃに助けを請い……彼らは彼女を、処刑したのでした」

金箔きんぱくで包まれた物語』

「イスガルドの次元界には、感覚者かんかくしゃが食道と腹の悦びを求める場所、〈金箔きんぱくの館〉があります。彼らはその情熱を一心に満たし、館の扉が開かず〈市民催事場〉へ戻る道がないことに気づきません。彼らは党閥とうばつを本当に信じてはおらず、悦びのために悦びを求めるだけの不要な感覚者かんかくしゃでした。自分が囚人だと気づかない囚人こそ、真の囚人なのではないでしょうか?」

貴婦人レディの求婚者』

「月日を重ねるにつれて増えていく、〈苦痛の貴婦人レディ・オヴ・ペイン〉の求婚者の物語。あるとき、シギルの女王に夢中になった若者がいました。彼は都市のそこかしこで彼女を見かけました。彼女のローブのきぬずれの音が聞こえます。彼女の刃のこすれる音が聞こえます。抑えきれないほど、のぼせあがってしまったのです。彼女を崇拝すれば、少なくとも彼女に会える……だから彼は、彼女を崇拝してしまいました」

「彼は自宅の階段で、血だらけで死んでいるところを発見されました。体はひどい刺し傷で覆われています……それでも目を大きく見開いて、満面の笑みを浮かべていましたとさ」

『題名のない物語』

「かつて、多元宇宙で最上の美を経験した男がいました。彼はその経験を、〈市民催事場〉の感覚石に記録することにしました。感覚と記憶を永遠に保存して、他の人が味わうことができる魔法の装置です」

「しかし彼は考えました。共有すれば、経験が薄まってしまうのではないか? そこで彼は経験を後生大事に抱えこみ、記憶と共に老いました。年を取れば、記憶は混ざって色あせます。もう二度と、輝かしい記憶を思い出すことはできませんでした」

『処刑』

「かつて、コサックスという名前の邪悪な殺人鬼が、シギルの街をうろついていました。アビスの母に祝福された彼を傷つけようとすれば、たちどころに死んでしまいます。彼は祝福を楽しみ、出会う人々を襲い、殺しました」

「彼は人殺しに熱中しているときに、ハーモニウムに網で捕らえられ、ガヴァナーの前に連れてこられました。裁判はすぐに終わり、けれどもコサックスは成り行きを笑います。彼を傷つけようとする者は、むごたらしく死ぬことになると知っているからです。裁判の最終日には有罪を言い渡されて、死刑が宣告されました」

「ガヴァナーがコサックスに判決を下しました。『三十日の監禁を三度、そこで被告は生を諦め、死を断定され、命の兆しがすべて消えたとき、死体を処分するものとする』コサックスは笑い、誰かに自分を傷つけさせようとします。しかし裁判所は、沈黙に包まれたままでした」

慈殺者じさつしゃはコサックスを牢獄に運び、暗い空っぽの独房に閉じこめました。ベッドも明かりもなく、出入り口は天井の鉄格子だけです」

「彼を独房に下ろした慈殺者じさつしゃは言いました。『監房の隅に杯がある。毒の入った杯が。それでお前の死は早まるだろう』」

「『俺を処刑しないのか?』コサックスが衛兵にうなります」

「『シギルの何人なんぴとも、お前を手にかけることはない』慈殺者じさつしゃが答えます」

「『臆病者め!』コサックスは笑い、闇の中で杯を探し、壁に投げつけて割りました。毒が壁から滴り、乾いて消えました。『来いよ—今すぐ俺を殺してみろ』」

「天井の格子から返事はありません。そうしてコサックスは気づきました。独房にベッドはありません。光はありません。食べ物も水もありません。残ったのは、砕けた杯だけでした。コサックスは初めて、忍び寄る死の冷たさを知りました」

「三十日が三度過ぎ、鉄の格子が開かれて、冷たくなったコサックスの死体が独房から運び出されました。彼は生を諦めて、処刑は執行されたのでした」

 私にはもう物語がなかったので、モーテに尋ねた。

 彼は答えた。

「オレ? なんでオレが?」

 言われたとおりに物語を話すよう言った。

「暗い道で、初老の男がひとりで座ってたんだ。どっちに行くべきか、どこへ旅してたのかも、自分が誰かも分からない。しばらく座って疲れた足を休めていたら、いつの間にか目の前に老婦人が立っていて、歯のない口でニヤリと笑って、ヒヒヒヒと喋るんだ。『さあの願いだよ。何にするんだい?』」

「『三番目の願い?』男は混乱したぜ。『一番目の願いも二番目の願いもないのに、どうして三番目の願いが?』」

「『おまえはもう願いを二つ叶えてる』その妖婆ハグはそう言った。『でも二番目の願いは、最初の願いを叶える前に戻ることだったのさ。だからおまえは何も覚えてない。願いを叶える前に戻っちまったんだからね』老婆は哀れな与太者よたもんに甲高く笑うんだ。『だからおまえには、願いが一つ残ってる』」

「『分かった』男は言った。『信じられないが、願うだけなら悪いことはないだろう。私が誰なのか知りたい』」

「『おかしいねえ』老婆は願いを叶えて、消え去りながら言ったんだ。『そいつはおまえの、最初の願いだよ』」

 イヴは『フィーンドの遊戯』を返した。

「優しい老人のふりをして、ときおり主要世界の荒野をさまようフィーンドがいました。ある日、彼は森の中で、数人の狩人に出会いました」

「『何をしておるのじゃ?』フィーンドは尋ねます。狩人たちの答えを聞いて、フィーンドはうなずきました。『わしはこれまで、狩りをしたことがないのじゃよ』」

「狩人たちは老人をさそい、やがて彼らは、鹿たちが草を食む空き地にたどり着きました。狩人たちはクロスボウを持っていましたが、鹿を射ることはせず、フィーンドは理由を訊きました」

「『彼らは武装してないからな』狩人たちは笑ってクロスボウを叩きました。『俺たちは、自分を守る能力がないものは狩らないんだ。だって楽しくないだろう?』」

「フィーンドはこれにうなずいて、すぐに三体の仲間をゲートで呼び寄せました。狩人たちは、ほうぼう逃げ回ったものの、やがて捕まり食べられてしまいましたとさ」

 私はダッコンに物語を共有するよう求めた。ダッコンは厳かにうなずいた。

「『アチャッリの溺死』の物語を伝えよう」

 ダッコンは「アチャッリ」の物語を語った。リンボで道に迷った神話上の愚かなギスゼライの話を。通常、ギスゼライは集中力と自制心を使って、周囲の混沌から小さな居住環境を形成する。しかしアチャッリは故郷に帰るために、役に立たないまとまらない質問を沢山したため、周囲の物質の島が崩壊し、溺れ死んだのだった。

 イヴは微笑んだ。

「面白いわ、ダッコンさん。あなたとあなたの友人たちに、私が聞いた別バージョンを話すわね……」

 ダッコンは興味をひかれたようだ。少し驚いているようにも見える。

「ある日彼女は、産卵石に向かうスラードに出くわしました。彼女はすぐに混沌物質の壁を建て、それは貪欲なスラードでさえ壊すのが難しいものでした。飢えたスラードは壁越しに話しかけました。彼女はスラードに質問し、その無意味な質問とスラードの答えに夢中になって、壁は朽ちて崩れました……そうして彼女はリンボの物質の中で、溺れて死んだのでした」

 私は最後に、アンナに物語を交換できるか訊いた。その返事からして、私に対する怒りは乗り越えたようだ。

「あー、そういうの話すの得意じゃないのよ、ほんと」

 彼女は顔をしかめて、払いのけるかのように両手を振った。

「そんな馬鹿なこと訊かないで」

 イヴはアンナに微笑んだ。

「でも、あなたの物語を聞きたいわ……」

 私も言い添えた。

「お前の物語を共有してくれ、アンナ……」

 モーテも加えずにはいられなかった。

「おい、今さらだろ、フィーンド族。アンタにはひとつ、尻尾テイルがあるじゃないか」

 アンナは居心地が悪そうだ。尻尾がゆっくりと前後に揺れている。

「まあ、ひとつ知ってるわ……」

 彼女は急に腹を立て、イヴをにらみつけた。

「……でも、あんたは好かないはずよ、ほんと。だから、がっかりしても私のせいじゃないから!」

「話してくれ、アンナ……」

 そう彼女を促した。アンナは顔をしかめ、そして諦めて苛立たしげなため息をついた。

「まだちっちゃなころに聞いた話よ」

「とある与太者よたもんが遅くに、逆頂天ぎゃくちょうてん近くに家に帰ろうとしてた。それで暗闇しかない通りで、歯のないばあさんに会ったの。それで『どこに行くんじゃ?』って訊かれたわ」

「『家だ、妻とドヤのところにな』って彼は答えて」

「『〈鉱滓こうさい〉の近くかえ?』ばあさんはそう訊いたわ」

「『そうだな』彼はそう言って」

「彼女はお願いをしたわ……箱を〈死屍しにかばねの穴〉に持っていって、そこの女性に渡してってね。この与太者よたもんはマジのマヌケで、このばあさんが何かぜんぜん正しくないって分かってたのに、ノーって言えないほどお人好しだったの。『だが、その女の名前は?』彼は訊いたわ。『どこに住んでるんだ? 〈死屍しにかばねの穴〉にいなかったら、どこを捜せばいい?』」

「ばあさんは箱を手渡して—色つきの布で包んだ、木製のやつをね—ただそこに行け、彼女がいるからって言うのよ。それで最後に、こう警告するの。『そんで何があっても、箱を開けちゃあいかんぞ!』」

「それで彼は箱を持ち帰って、とりあえず垂木たるきに隠したわ。明るくなったら〈死屍しにかばねの穴〉に持ってこうって。でも隠すのを妻が見てて、愛人のための贈り物だって嫉妬して、彼が見てないあいだに開けちゃったのよ」

「ええと、箱にはえぐり取られた目玉と、切り取られた男のアレが毛がついたまま詰めこまれてたの。叫び声に与太者よたもんはあわてて……ばあさんの言葉を思い出して、怯えながら箱を包みなおしたわ」

「彼はすぐに〈死屍しにかばねの穴〉に行って、そこには確かに別のばあさんが待ってた。彼が箱を渡すと、ばあさんは言ったわ。『この箱は開けられて、中を見られとる』」

「哀れな与太者よたもんは否定しようとしたけど、ばあさんは恐ろしい表情を浮かべたわ。『恐ろしいことをしおったな!』そう言って消えて、それで彼は急いでドヤに帰ったの」

「帰ったときには気分が悪くなってて、ベッドに入ったわ。妻は箱を開けたことをひどく後悔してたけど、手遅れだった……次の日に、彼は腐って死んじゃった。それで最初に腐りはじめたのは、目玉と陰茎だったのよ」

 アンナが険しい顔でうなずいて、物語は終わった。

 イヴは微笑んだ。

「素晴らしい物語よ、アンナ。話すのをためらうべきじゃないわ。さて、あなたとあなたの友人たちにお返しね—『乾いた大地』」

「かつて、大きな村がひどい干ばつに見舞われました。一人の農民が〈崇拝の石〉まで旅し、干ばつのことを伺いました。彼は〈石〉に、田畑が乾き死んでいくときに、なぜ何もしないのか、動物たちと人々が苦しんでいるときに、なぜ〈石〉は何もしてくれなかったのかと尋ねました。『捧げ物が足りないのですか?』農民はほとんど四つんばいになって問いかけます。しかし〈石〉は答えず、ただ座して影を投げかけるのみでした」

 レディ・フォール゠フロム゠グレイスの生徒は10人おらず、9人しか見つからなかった。先ほど空っぽだった部屋をもう一度覗いても、他の生徒はいなかった。しかし別の部屋で、変身した魔道士だと主張する喋る衣装タンスを見つけた。その引き出しのひとつに失われたヴェールが入っていて、失われた匂いの芳香を放っていた。

 〈売春宿〉の地下室を見たことで、見つからない生徒に関する疑念が裏付けられた。上の階の10の部屋の生徒の経験を保存するための石が10基用意されていたが、使われているのは9基だけだったのだ。私はこの建物の女主人のところに戻った。近づく私にフォール゠フロム゠グレイスが振り向き、わずかに微笑んだ。

「いかがしましたか?」

「お前の言うとおりに9人の生徒と話したが……10人目は見つからなかった」

「10人目の生徒が見つからなかったのですか? 奇妙ですね」

 彼女はそう答えた。

「10人目の生徒は、私のことだと思っている。その場合は、全員と話したことになる」

 彼女はうなずいた。

「良いですね。それで、あなたのお考えは?」

「お前と私はこの場所を離れ、次元界を探索すべきだ。私たちはどちらも、ここで経験することはもうないのだから」

 フォール゠フロム゠グレイスは再びうなずいた。

「良いですね。まだお望みであれば、ご一緒いたしましょう」

「頼む」

 アンナが大きな声で批判した。

「まあ、えっらそうなお嬢さまが、私たちに加わるですって? なんで彼女が必要なわけ?」

 モーテが答えた。

「アンタには分かんないだろうね」

 アンナが答える。

「高いとこから落ちればいいのに。私が自分でぶん投げるのもありね」

 他の者たちに外で待つよう伝えた。まずアンナと話さなければならない。私は彼女に、大丈夫かどうか尋ねた。

 彼女はただ私をにらみつけるだけだった。

 いくつか訊いていいかと尋ねると、彼女は答えた。

「あのサキュビッチに質問すればいいじゃない」

 目が線のように細まる。

「なんであいつと旅するの? あんなやつ必要ないわ、ほんと」

 フォール゠フロム゠グレイスと旅をしたい理由の一部は、アンナが腹を立てている理由と同じ、彼女の器量や知識、知的な素養だ。しかしそれでも、アンナにはこれまでと同じように共にいて欲しかった。それに、仲間になったのはアンナのほうが先だ。だから私は言った。

「アンナ、私は彼女ではなく—お前といたい。彼女がお前を悩ませるなら、彼女には離れるように言う」

「なら、そうして!」

 アンナが私をにらむ。

「できないでしょ—もしあんたがそうするなら、私たちの関係はよくなるわ。しないなら、また話し合うことになるわよ、ほんと」

 それでもまだ私は、休戦するようアンナを説得できると見込んでいた。

「アンナ、。私にとってお前はとても大切で、お前の助けが必要なんだ」

「あら、それはどうしてかしら? 理由はいろいろありそうね、ほんと。私を哀れんでるんでしょう? 私が足を引っ張ってると思ってる? さあ、言いなさいよ!」

「お前を哀れんでもいないし、お前は足を引っ張ってもいない—お前は素早くて、腕がよくて、私は本当に助けが必要なんだ」

 アンナは眉をひそめた。尻尾が前後に揺れ動く。

「ええ……まあ……あいつが邪な目を向けはじめたら、臓物抜き取ってやると知りなさい、ほんと」

 彼女は私をにらんだ。

「それと、あんたが望んだから一緒にいるだなんて思わないことね—ただの人助けよ、ほんと」


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