プレーンスケープ トーメント 非公式小説

キマクシィ・アダータン

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 部屋を出て、円に沿って次の部屋へと進んだが、そこは空だった。

 その次の部屋に近づくと、入口にたどり着く前に一人の男が入っていった。外で待っていると、開かれた扉から女性の大声が聞こえてきた。

「またなの?! この脳無のうなしのクソ袋が!」

 男の返事がかすかに聞こえた。

「はい、女王様……」

「くらいなさい!!」

 女性がそう言うと、打撃音が続いた。

「もう一発!!」

 再び打撃音が続く。

「哀れな男、もう帰ってくるんじゃないわ!!」と叫び声。

 もう一度、かすかな返事が聞こえた。

「ありがとうございます……女王様」

 足音が扉に近づくのが聞こえた。部屋から出てきた紳士は、顔を殴られたかのように目にあざがあること以外は、目立たない男だった。私が近づくと、彼はわずかに会釈した。

「こんにちは」

 興味をひかれて訊いた。

「どうして目にあざが?」

 彼は微笑んだ。

「ああ、これですか? 長い話ですよ。あなたにとっては、きっと面白くもない話です」

 モーテが言った。

「いやいや……今すぐ話すべきだぜ」

 私も同意した。

「そうだな……お願いだ、話してくれ」

 男はため息をついて、目を回した。

「いいでしょう……しかし詳細を明かすことはしません。先ほどは長い話と言いましたが、一言で表せるかもしれません。『キマクシィ・アダータン』と」

「その名は聞いたことがある……」

「ああ、まだ彼女と話していないようですね。キマクシィという魅力的な楽しみについてお伝えするのは、これくらいにしておきましょう……代わりに、ご自分で彼女と話してみてください。彼女はここの娼婦で、レディ・グレイスの生徒の中でも最も魅力的なのですよ」

 彼は私に微笑んだ。

 彼の愛慕の対象に会うのに守りはモーテとダッコンだけで十分だろうかと考えながら、部屋に入った。怒りに顔をしかめている荒々しい見た目のティーフリングの少女と目が合った。入れ墨が入った体は、裸も同然だ。細い革ひもと、黒い布地のブラジャーと、防御よりも装飾用途であろう肩当てを身につけているだけだ。逆立った髪の毛は—彼女の山羊のような脚を覆う薄い毛皮と同じように真鍮しんちゅうのような白色で、おびただしい数の銀の輪が耳と鼻と唇と眉からぶら下がっている。首に巻かれた革のチョーカーには「キマクシィ・アダータン」と刻まれている。私があいさつすると、キマクシィは歯をむき出しにした。

「それで何を見てるのかしら、怪我だらけの鹿馬野郎かまやろう?」

 私の代わりにモーテが答えた。

「お友だちはアンタが魅力的だと言ってたけど、なんてこった! ひどい誤解だぜ!」

 彼女はモーテを鼻であしらい、その下の普通は体がある場所を見た。

「毒舌じゃないの……脚もない死屍しにかばねにしては」

 モーテが言い返す。

「体があったら別の場所に行かせてもらうぜ! なんだ、『売春宿』って聞いてここでジャラを稼げると思ったのかい、ノミに食われた娼婦ちゃん? ハッ! その毛むくじゃらの脚から飛び出るダニからして、扉を通らせてもらえたことさえ驚きだ!」

「ダニ?! ここで邪魔な虫は、だけでしょう!」

 彼女は突然私のほうを向いた。

「さあ! 私と話しに来たわけ? それとも何か?」

「『それとも』? 他に何をするんだ?」

 彼女の独創的なののしりが面白く、私はそう訊いた。

「この鹿馬かまみたいな顎箱あごばこは、何を考えてるのかしら? さあ、言いなさい。私に『ノー』と言う理由をよこしなさい」

「普段は客に何をしてるんだ?」

「私は罵倒の実践者なのよ」

 私はそれを文字通りに取るべきか迷った。

「どういう意味だ?」

「見せてあげるわ」

 彼女の手がしなり、私の顔に襲いかかる。私はその一撃をかろうじて避けた。キマクシィは目に見えて口をとがらせ、顔をしかめた。

「はあ、まったく」

「お前のような半獣は、もっと動きが素早いと思ってたんだがな」

 彼女の罵詈雑言に対抗したくなって、そう言った。彼女は私に、疑わしげな視線を向けた。

「考える脳みそはあるのかしら? ふん。まあ、お前みたいな半ゾンビは、もっと動きがのろいと思ってたわ」

「思い違いだな……お前が頻繁に思い違いをしているのは、想像に難くないが」

「お前は頻繁に想像してるに違いないわね。自分はひどく醜いわけじゃないなんて想像して、女に相手にされるって想像して……私の胸を見るのをやめなさい!」

 彼女の最後の言葉には驚いた—見てなどいなかったからだ。その言葉に隠された意味を見つけようとして、一瞬混乱した。

「どういうことだ?」

「あらあら、見てなかったかしら? 不格好で好色な死体ちゃん……どうかしたの? 乳首を見たことがないのかしら?」

 自分の考えすぎに少し微笑みながら、彼女の侮辱に応じた。

が? ちっぽけな腫瘍のこぶか何かだと思ったぞ」

 彼女は片眉を上げた。

「これほど素晴らしい胸が分からないなんて、明らかに女と付き合った時間が足りてないわねえ……」

「自分が女だと言っているのか? それは定義を広げすぎじゃないか?」

 キマクシィは言葉を失った。しかめっ面に一瞬で笑顔が広がり—これまで以上にバジリスクのように見えた。

「いいわ、何が望みなのかしら?」

 失われた品物について質問したが、新たな情報はなかった。しかし私は、モーテが喜びそうなことを思いついた—後悔することになりそうでもあるが。

「お前は……このモーテがもっと口汚くなるように教えることはできるか?」

 彼女は眉を上げた。

「珍しい要求ね。分からないわ、すでに十分口汚いもの……」

 モーテが割りこんだ。

「コイツだろ! 十分口汚いのはだろ、〈膀胱の糞ブラダーダン〉のキマクシィ……薄汚い山羊脚の売春婦!」

「私みたいな脚が欲しいのね、哀れな骨箱ほねばこ! 私は歩けて走れて踊れるけど……お前は? 山羊脚があればと願いながら、浮いてるのがお似合いだわ!」

 彼らは互いを非難し合い、辛辣な侮辱を交換し、鋭い言葉をぶつけ合わせた……

 やがて二人は口論をやめて憎らしげに互いを見つめ、不気味な沈黙が降りた。最終的に、ティーフリングは不承不承ながらもモーテを認めた。

「悪くないわ、本当に。全然悪くないわね」

「アンタよりいいんじゃないか?」

 モーテは彼女に対して視線を揺らした。

「な? な?」

 キマクシィはモーテに対して目を細めた。

「調子に乗るんじゃないわよ、

「もちろんさ、。まあ、少しぐらいは学ぶことがあったかもな……」

 キマクシィは私のほうを向いた。

「望みはそれだけかしら? もうお前のそばで時間を費やしたくないんだけど」

 先に進む時だ。

「同感だな。さようなら」

 部屋から出る時に、キマクシィが言った。

「ちょっとバートルあたりをさまよってみることね、曲がりくねったクソ野郎」

 私がバートルに行き着く機会があるとは思えないが。

 部屋を出た後、アンナが戻ってきた。彼女は黙りこみ、私に毒々しい視線を向けていた。


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