プレーンスケープ トーメント 非公式小説

混沌の狗が吠える

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 翌日、アンナが私の死体を見つけた場所を確認する準備ができた。〈くず拾い街〉を通り抜けている時に、ファロドが死体をどこから集めているのかシェアグレイヴに伝える約束のことを考えた。しかし彼は間違いなく、ファロドがやめたことを続けるだろう。シェアグレイヴに伝えなくても、どこかの与太者よたもんがすぐに〈埋ずもれた村〉を支配し、地下墓地カタコンベへの遠征隊を組織し、死者を略奪するだろう。

 このことを〈蟲蔵むしぐら〉を歩きながら考え、そして解決策を思いついた。塵人ちりびとのたまり場である〈ちりかぶり亭〉に立ち寄り、中の何人かと話をした。塵人ちりびとたちはすでに、ファロドがどこから死体を手に入れているのかを怪しんでいた。私は彼らに、ファロドが何をしていたのかと、死体の出所について説明した。これでハーグリムとステイル・メアリーが保護している者たちが守られるだろうと考えると、気分がよくなった。

 〈蟲蔵むしぐら〉を歩いていると、前方からシギルの住人のギスゼライが歩いてくるのが見えた。私がさえぎるように動くと、ギスは私に顔を向けた。ダッコンのように、黄色がかった皮膚とやせ細った体格だ。鋭い色彩と泥に汚れた鈍い茶色が不思議に混ざり合った服を着ている。彼の漆黒の瞳がダッコンをとらえ、そして私に戻る。私はダッコンから丁寧なギスゼライの話し方を学んでいたので、適切なあいさつを知っていた。

「ご機嫌よう、剣の鳴らし手よ」

 ギスゼライは私を無視し、ダッコンのほうを向いた。そして奇妙な低い言葉を早口で喋った—私はその抑揚を正しく理解し、彼が言ったことを翻訳することができた。

「すべての恩義を、〈ゼルス〉よ」

 ダッコンは同じ言葉で答えた。文の構造は奇妙だったが、ダッコンが言ったことを理解できたように思う。

「この者は、誠実なる者の中に数えられておる」

 私は、何を言ったのかをダッコンに訊き、自分の翻訳を確かめようとした。私が喋ると、ギスゼライは私のほうを向き、そしてダッコンのほうに向き直り、再び喋った。今度は長々と。まだ難しいものの、聞き取るコツがつかめてきた。

「ダッコンという名の、我らの種族ではない者がいる。彼の心は分かたれていると言われている。彼はゼルシモンの言葉を識らない〈ゼルス〉だと、言われている」

 ダッコンは同じ返答をした。口調はわずかに変わっているが、意味はそのままだ。

「この者は、誠実なる者の中に数えられておる」

 その言葉が浸透するのを待つかのように、ダッコンは沈黙した。

「儂のそばにおる者が、喋っておる。お主は彼の言葉を聞くか?」

 ギスの返答は非常に素早く、非難をはらんでいた。すべての意味を理解できたかは定かでないが、このギスは質問の形でダッコンに挑戦を叩きつけたようだ。

「〈ゼルス〉よ、お前はこのヒューマンの言葉に従うのか?」

 ダッコンを守りたくなったが、私がこのギスの言葉を理解していると知られてよいものか分からなかった。それにダッコンは自分で自分を守ることができた。ダッコンの返答は短かったが、彼は喉から言葉を引きずり出すかのようにゆっくりと喋った。

「ティッチャの選択は、儂のものとなった」

 ギスは話を続ける前に、しばらく黙った。

「この問題は、イリシッドの悪臭を伴っている」

 彼の視線がダッコンの顔をなぞる。

「お前に鎖は見えない。お前はお前の心を語っている。なぜ、かような冒涜が?」

「鎖は儂自身のものだ」

 話し続ける彼の皮膚が、灰のような色合いを帯びた……一つ一つの言葉が、彼をゆっくりと殺しているかのようだ。

「百年の反乱者、その物語を語るに足る砂時計はなし。問題はフリッヒの根のようにねじれておる。その解決は可能性の一つであり、決して来たらぬかもしれぬのだ」

 そしてダッコンは眉をひそめ、語気を強めた。

「儂のそばにおる者が、喋っておる。お主は彼の言葉を聞くか?」

 ギスは私を見ない。その注意はダッコンに集中していた。

「彼は話すかもしれない。私は話を聞くだろう」

「彼は話を聞くだろう」

 彼は私のほうを向き、ダッコンがそう言った。

「よし。いくつか質問がある……」

 ギスは隠喩で答えた。

「アチャッリの溺死だ」

 私はこの隠喩の意味を、なんとか思い出した。アチャッリの溺死。本質的に「答えが意味をなさない質問」だ。通常は、曖昧とした、あるいは質問を、より明確にせよという要求を意味する。

 私はダッコンが語った物語を思い出した。ギスゼライは混沌の領域である外方次元界リンボに故郷を築いている。安定を実現するためには、精神によって次元界の混沌物質を成形するしかない。それを実現するには、集中と鍛錬が必要になる。「アチャッリ」は、リンボで道に迷った神話上の愚かなギスゼライだ。彼女は自分の周囲に島を形成することが、ほとんどできなかった。混沌物質の中を漂う彼女は、助けを申し出る次元渡りに出会った。アチャッリは故郷に帰るために、役に立たないまとまらない質問を沢山したため、周囲の物質の島が崩壊し、リンボで溺れ死んだのだった。私は質問を明確にした。

「ダッコンについて教えてくれないか?」

「彼はお前と共に歩んでいる」

 彼の額にしわが寄る。

「なぜ彼は、お前に識られていないのだ?」

「彼について、お前に何か話して欲しかったんだ」

 実際私は、他のギスゼライがダッコンをどう考えるかについて、さらに理解を深めたかったのだ。

「彼は口がきけないわけではない。彼を識りたければ、彼に質問しろ。個人を彫像として扱うことで、我らを侮辱するな」

 このギスは、ダッコンやギスゼライに関する他の質問にも答えなかった。その早口な返答から、何も学ぶことができなかった。

 私は再び、ダッコンをその誓いから解放することを決心した。それが駄目でも、少なくともギスゼライについてさらに学ぼうとすることはできる。

 アンナは私たちを、放棄された借家と思われる場所に導いた。私は建物の横のアーチに囲まれた扉に近づいた。しかし扉だと思っていたものは、絵だった。アーチの出っ張りによる影と微妙な質感の効果を利用して、画家がこの扉に錯覚の実体を与えている。

「アンナ、これが本当に扉なのか?」私は尋ねた。

「そうよ……飢えたいぬどもの泡々あわあわな絵で汚されてるけど—見るまでは本物の扉で、見ると絵に変わるの」

「どうやってそんなことが?」

 アンナは肩をすくめた。

「この次元界には不思議なことがあるのよ」

 彼女は突然顔をしかめた。

「あんたはきっと、自分が確実に死んだ後に、どうやって死者帳ししゃちょうから出てきたのかも疑問でしょうね」

「なら、この扉は……見なければいいのか? それで開くのか?」

 アンナは扉を一瞥いちべつし、うなずいた。

「それがそのやみよ。うたいではね」

「いいだろう……言うとおりにしてみよう。お前はただ—」

「待って!」

 扉に手を伸ばす私を、アンナが止めた。

「あんたの死体を見つけた場所に行く方法はこれしか知らないけど、一番安全な道ってわけじゃないの。準備は大丈夫? あの松葉杖オヤジが言ったことに関係なく、私はあんたの世話人せわにんのふりをするためにここにいるんじゃないわ」

「この扉の向こうに、それほどの危険が?」

乱人みだれびとよ」

 アンナがささやいた。

「最高に泡々あわあわなやつら。絶えず吠えまくって、ペンキで塗るか尿瓶で脳箱のうばこを割ろうとしてくるやつら。危険なブラッドよ、ほんと」

「そんなに危険なら、お前はどうやって通り抜けたんだ?」

「静かに鮮やかに潜りこんだのよ。見えなきゃ、ペンキをかけたり殺したりできないでしょ」

 彼女は眉をひそめて私を眺めた。

「あんたがいたら同じことはできないわね。不器用そうだもの、ほんと」

 私は目を閉じ、扉に手を伸ばして手探りし……そして驚いたことに、取っ手を見つけた。わずかに力を込めると、扉は開いた。狭い通路が建物の中に続いている。そしてその先から、遠吠えが聞こえた。

 小さな部屋に入った。すらっとしたティーフリングの少女が、背を向けて立っている。私は彼女の両手と、彼女の前でひっくり返っている机が、ピンク色のペンキと思われるもので覆われていることに気づいた。接近する私には気づいていないようだ。

 あいさつすると、少女は振り向いて私を見た。その顔は、ピンクの滴が飛び散り汚れていたが、際立って美しかった。彼女はいたずらっぽい笑みを見せ、そして間に合わせのキャンバスに注意を戻した。

 彼女と話そうとしたが、完全に自分の芸術作品に没頭しているようだ。私のことを完全に無視している。

 この部屋からは、両側に扉がある短い広間が続いていた。そこには別の住人がいて、彼の反応はより典型的なものだった。襲いかかってきたのだ。4対1のオッズに賭けるほどの愚か者は、すぐに処分された。

 左手の扉は、この借家の大半の部屋につながっている廊下だった。廊下の右側にある部屋を覗きこんでいると、ささやき声が聞こえた。私の注意を引こうとしているようだ。周囲を見回すと、部屋の隅の影の中に、隠れている人物が見えた。私が近づくと、若い女性が影から出てきて姿を明らかにした。ゆるい短衣チュニックを身につけ、短く刈りこまれた髪とほっそりとした体格から、ボーイッシュな印象を受ける。

「私なら、そっちには行かないね」

 彼女は反対側の壁の扉をあごで指した。理由を訊くと、彼女は私の声にたじろぎ、唇に指を当てて黙るよう示した。彼女はしばらくためらい、そして静かな声で答えた。

「あいつらが狂ったようにわめいてる。何かの集会をしてるみたいだ。いなくなるまで、通り抜けるのはやめといたほうがいい」

 彼女について尋ねた。

「名前はシビルさ」

 彼女は静かにささやき、手のひらにつばを吐いて、手を伸ばして握手を求めた。その後、私は彼女がここで何をしているのか訊いた。

「何をしてるように見える? 隠れてるのさ。ここには……食い物を探しに来た」

 彼女が話しているあいだ、その右手が本能的に腹部を叩いていることに気づいた。

「隣の部屋から馬鹿どもがわめきながらあらわれて、玄関でパーティーを始めやがった。ここに閉じこめられて、出られないんだ」

 当座の問題に戻り、隣の部屋には何人いたのか尋ねた。

「1ダースはいたな。もちろん、扉の割れ目から覗いただけだから、多少は違うだろうけど」

 私は少し考え、別の質問をした。

「通り抜ける方法は、他にないのか?」

「あの獣どもと戦わずに、通り抜けられるかも。そこに通じる扉がもう一つあるんだ。見たところ、扉の壁に沿って木箱が積まれてる。部屋の反対側の出口までこっそり行けるかもしれない。一つ問題があるけど……」

「試してみたんだけど……扉は施錠されてるんだ。たぶん鍵は、二階のチンピラの誰かが持ってると思う。私はそれを探しに行くほどくさあなじゃないけど」

 彼女は腕を組み、私に期待のまなざしを向けた。

「鍵があるなら……見つけてこよう。またな」

 立ち去る前に、彼女が付け加えた。

「もし生き残って鍵を見つけられたら、扉は南東の部屋の中だ。私は影の中から見てる。あんたが扉を開いて無事に通り抜けたら、私も追いかけるよ」

 アンナは以前ここに来たことがあるので、先導を頼んだ。私たちは廊下に戻り、先に進んだ。突き当たりの扉の先は別の部屋で、上への階段があった。罠を見つけたアンナが私たちを身ぶりで止め、解除するために動いた。彼女の作業を見るために、モーテが頭上に浮かんだ。罠に取り組む彼女の肩の緊張具合から、その観客を歓迎していないことが分かる。作業を終えた彼女は、モーテのほうを向いた。

「そのフヨフヨ動きを続けたら、槍の先に縛りつけるわよ!」

 モーテは素早く私のところに戻ったが、その大げさな動きが言外の意味を伝えていた。

 階段を上り、別の廊下にたどり着いた。この階でさらに二人の混沌の狂人を殺さなければならなかったが、興味深いものは見つからなかった。廊下の反対側には階段があり、私たちは上へ進んだ。

 そこが最上階だった。私たちは魔術の使い手を含む少人数の乱人みだれびとに遭遇した。魔術の使い手は私の魔法能力に敵わず、乱人みだれびとは私の戦闘能力に敵わなかった。戦いが終わり、魔術の使い手から鍵を見つけた。

 私たちは最下階に戻り、階段の部屋の別の扉から出た。そこはチンピラの主要グループが占拠する部屋の反対側だった。少し調べると、シビルが話していた秘密の壁板が見つかった。

 私たち全員がこのグループをやり過ごすことはできるだろうか。それに加えて、同じ道を戻らなければならない可能性もある。この人数相手に、どれだけ戦えるかも分からない。しかし解決策があった。私はアンナに、地下墓地カタコンベで見つけた魔法のアーティファクトを渡した。毒の霧を発生させることができるパイプだ。彼女にそのアーティファクトの機能と、ガスを吸いこまないために注意すべき点を慎重に説明した。そして部屋に忍びこみ、住人にガスを放つよう送り出した。彼女の安全は気がかりだったが、信頼を示すべきだとも感じていた。

 心配する必要はなかった。彼女は部屋に忍びこみ、誰にも気づかれずにガスを放ち、全員を殺した。彼らが死ななければならなかったのは残念だが、私たち全員で部屋に入ろうとすれば、同じ結末になっていただろう。私たちは別の扉を通り、外の路地に出た。そこで自分たちの居場所を確認しようとしていると、シビルが同じ扉から出てきた。

切者せっしゃ、本当に……感動したよ。あの獣どもに噛み砕かれると思ってた。まあ、感謝すべきだよね」

 彼女は少し逡巡し、 ポーチから小さな緑色の宝石を取り出した。

「ほら……いぬが持ってたんだ。じゃあ、またね、切者せっしゃ


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