次の日、私は街区に戻り、ごみの詰まったアーチへの道をたどった。持っていたがらくたは確かに作用し、ポータルが開いた。通り抜けると、アーチがある小さな建物の反対側に出た。
血まみれのテーブルの上で目覚めた。傍らにはモーテとダッコンがいる。彼らのことが、認識できる。〈葬儀場〉で目覚めて以降の記憶は、すべて無事なようだ。刃に倒れたことは疑いようがない。しかし過去に受けた何らかの影響により、今回の死は、私が学んだことを消し去らなかった。
テーブルから体を起こすと、近くに他の人物がいることに気づいた。分厚い
私は彼女の注意を引こうとした。しかし私のあいさつが聞こえないようだ——彼女は私には目もくれず、長机の一つによろよろと戻り、死体を突きはじめた。
「さあさあ……」彼女は歯を鳴らした。「ぜんぜん難しくないだろう、マルタ……難しくないだろう、マルタ……? そうそう、その通りだねえ……」
見たところ、死体の口から歯を抜き取っているようだ……手と爪だけを使って。上手くいかないときには、裂けた木製のノミと木槌を取り出し、歯が外れるまで歯茎をガシガシ叩き、そして腰の鞄に入れる。私は再び注意を引こうとした。
「あ~……何をしているんだ?」
私の声に驚いたマルタは死体から飛び退き、つんざくような金切り声をあげた。
「ぎゃあっ!」
彼女は息をつき、そして怒ってしゅうしゅうと音を立てた——机の死体に対して。
「死体じゃ、ないなら、先に何か言うんだよ、インチキ死体、汚い死体、そうさ! 恥ずかしくないのかい?」
「喋ったのは私だ、死体じゃない」
マルタは目を細め、振り向いた。
「へ? いつの間にそっちに?」
彼女は独り言をつぶやいた。
「マルタ、こいつは一体どうやって? さっぱりわからないねえ」
「この墓いじりは盲目で、ほとんど耳が聞こえないんだろ」モーテがコメントした。
マルタはまだ何か「死体」や「感謝」について独り言を言っているが、ほとんど聞き取れない。
「お前は誰だ?」彼女に尋ねた。
「マルタ、こいつ、あたしが誰かって聞いたかい? ああ、そうだねえ、そうだねえ……」
彼女は鼻歌を歌い始めた。
「誰でもないあたし、あたしはマルタ、お針子のマルタ……フンフンフン……お針子~のマ~ルタ……お針子~のマ~ルタ……」
彼女は死体に向き直り、一人で名前を歌い続けている。
「何をしているんだ?」
彼女は不機嫌そうに死体のほうを向いた。
「この
彼女は小さな子供を諭すように、指を振った。
「石みたいに頑固だねえ、そうだろう、マルタ?」
彼女は口をとがらせた。
「ああ、ああ、そうだねえ……」
「縫いものと……歯もの? 何のことを話しているんだ?」
「縫いものを取って、歯ものを取って……ねえ、マルタ、手を貸してくれないかい……あたしはずっと、あんたを助けてるじゃないか、親友だろう……そんな風に言う必要なんてないよ……縫いものを取って、歯ものを取って、ああ。それと中の物ものも」
「臓器のことだとだと思うよ。臓器のことだと願うね」モーテが言った。
マルタが繰り返した。
「物ものだよ」
モーテがマルタを
「ああ、『物もの』ね」
そして私のほうを向いた。
「意味論だ」
私は彼女に尋ねた。
「マルタ、なぜ死体の歯と糸を抜き取っているんだ?」
「それがあたしがやってることだねえ、マルタ」
彼女は頭をかいた。
「ああ、マルタ、あたしたちがしてること……縫いものの糸と歯ものは貴重なんだよ、ジャラジャラに変えられるからねえ。『おれらが運ぶ死体をはぎ取れ』あいつらがマルタに言ったんだよ。『歯ものと縫いものと、死体の中の物ものを取れ、まるっとはぎ取って、そしておれらが
過去の人生の記憶の欠片を隠している想像上の壁の向こうから、奇怪な考えが浮かんだ。
「お前は死体の中にあるものを探しているんだな? 私の体の中から、何か見つけることはできるか?」
マルタは目を細めて私を見た。
「ふむん」
そして彼女はうなずいた。
「できるねえ、できるだろう、マルタ? ああ、あんたならできる」
モーテが私に目を向けた。
「オレは見ないでおくよ」
「どこかねえ? どこかねえ……」
マルタが私の体を調べ、切り開くのに最適な場所を探した。私には、予感があった。
「腸を調べてくれ……何かがそこに、引っかかっているかもしれない」
私はテーブルに横たわり、マルタが錆びたナイフを構えた。彼女が腹部に切りこむと、突き刺すような痛みを感じた。そして彼女はのこぎりのような動きで容赦なく下へと切り進め、内臓を露出させた。その痛みにもかかわらず、私は彼女が鼻歌を歌いながら臓器を荒らす病的な魅力に、黙って見入っていた……
「あらまあ!」
マルタが粘つく腸の塊を持ち上げると、激しい痛みが走った。血とその他の液体が流れ落ちる。
「これを見るんだよ、マルタ……これを……ああ、切ろうねえ、切ろうねえ……」
マルタは腸の側面に手際よく小さな切れ目を作った。そして何か小さな金属が床を叩く、キンッという音が聞こえた。
マルタはどろどろの塊を私の胴体の中に下ろし、しゃがんで拾い上げ……指輪のように見えるそれを、私に投げてよこした。
「きれいだねえ、きれいだねえ、マルタ?」
彼女はうなずいた。
「ああ、マルタ、そんなもの、呑みこんじゃあだめだねえ……」
「あ——ありがとう……他に……何か……あったか?」
「何も、何もないだろう、マルタ? 他の場所を試すべきかねえ、マルタ?」
「や——いや、必要ない。他に質問がある……誰に頼まれて、死体の処理をしているんだ?」
「太った顔の貪欲豚のクイントと、松葉杖のよろよろ、よろよろの松葉杖の変なファロド、そうだろう、マルタ?」
彼女は風変わりな笑みでうなずいた。
「ああ、そうだねえ、マルタ……」
「ファロドだと? 彼はどこに?」
マルタは肩をすくめた。
「ファロドがどこかって、こいつ訊いたかい? あいつはここだよ、マルタ、そうだろう……?」
彼女はうなずいた。
「ああ、ファロドはここだねえ、マルタ。ここの建物だ……」
陰うつな仕事を続ける彼女を後にして、部屋を出た。ここはシギルの地下であるようだ。小さな村を構成するには十分な人々がいた。そしてすぐに、ここがそのままの呼び名であることを知った。〈埋ずもれた村〉だ。
注意しながら村を歩き回った。そして唯一見張りがいる建物を見て、一人うなずいた。ファロドの隠れ家に違いない。
見張りを無視し、大胆に立ち入った。内部はここで見たどの建物よりも大きいが、村の外と同じように、がらくたが散らばっていた。中にいるのは一人だけだ。私の目の前にいるのは、松葉杖にどっしりともたれかかっている初老の男。一度に二つの方向へ歩こうとして代償を支払ったかのように、左脚がねじれている。ゾンビのような皮膚が顔に重々しいひだを作り、
私は彼に声をかけた。
「あぁん?」
私の声に、男の瞳が光った。
「このファロド様が腕を広げてたら、ジャラの手堅い収入源が、また飛びこんできやがった! 歓迎するぜ、死体さんよお」
彼は邪悪な笑みを浮かべた。
「また〈葬儀場〉に、遠足しに行きてえのか?」
「ファロド、私は情報を求めて来たんだ。お前が私のことを知っていると聞いた」
「てめえのことを……?」
ファロドの瞳の中の光が消えた。彼は私を探り、視線をぴくぴくと動かしながら短くつぶやいた。
「死体を……? いや? そうか?」
そして私と視線を合わせた。
「ああ! いや……」
「よく見ろ……私のことを知らないか?」
ファロドは揺るがない視線で私を調べた。
「これは無言劇の品評会じゃねえだろう、死体さんよお。遊んでる時間はねえ、ファロド様には無駄に輪を回してる時間はねえんだ……そんな質問をして、どういうつもりだ?」
私はこのファロドという男を信用していない。嘘をつくことが最善の戦略だろう。しかし、この件は重要すぎる。彼が率直なうちに、率直に欲しいものを求めることにした。
「私は自分自身を忘れ、そしてお前を捜すよう言われたんだ。お前が私のことを知っているだろうと」
「へぇ……」
ファロドは唇をなめ、乾いた羊皮紙が砂に落ちたかのような耳障りな音を立てた。
「それで、誰にそんなことを言われたんだ、死体さんよお?」
「まあ、正確には、誰かに言われたわけではない。私の背中にタトゥーがあって……自分のことを忘れたらお前を捜せと書いてあったんだ」
「おお……それだけで、ずいぶんなことが分かるぜ……」
ファロドは黙りこんだ。そして私は不意に、〈葬儀場〉の
「てめえが知りてえことは、たくさん知ってるぜ。ああ、たくさんだ。確かに、たくさんだ……」
ファロドはゆっくりと微笑んだ。顔の肉のひだが、カーテンのようにめくれ上がる。
「何を知っているんだ?」
ファロドは唇をなめ、ハゲタカのように松葉杖に体を固定した。
「いやいや……タダとはいかねえな、その質問は」
彼は青白い手で、松葉杖の端を叩いた。
「いろいろ教えられることはある。だが、それには対価が必要だ」
ファロドは松葉杖で敷石を叩き、冷笑した。
「〈くず拾い街〉の下に埋まってんのは、この村だけじゃあねえんだ」
「小部屋、地下室、回廊……棺で眠る死者でいっぱいだ。その広間のどこかに、そのどこかに、紛れこんだもんがある。おれのもんが」
「それは何だ?」観念して尋ねた。
「小さなもんだ、ささいなもんだ、ちょっとしたもんだ……」
ファロドが喋るうちに、その言葉が反響しはじめた。まるで二人の人間が話しているかのように……私はそれを、聞いたことがある……私自身の唇から。
私は彼の言葉を引き継いだ。「……球体だ。青銅でできている。見苦しく、触ると卵のようで、腐ったカスタードの臭いがする。そうだろう?」
ファロドはしばらく静まりかえり、 そしてうなずいた。
「そうだ……何を隠してやがるんだ、死体さんよお?」
彼はクスクスと笑った。
「おれが欲しいもんを忘れてねえか、確かめにでも来たのか?」
「なぜ収集家に探させないんだ?」
「その回廊には、この村の死体はもう十分だからだ」
ファロドが舌打ちした。
「強く、素早く、賢い……おれの村人にはねえ資質だ。下に行ったやつらは——帰ってこなかった」
ファロドは私を横目で見た。
「死体どもも、お仲間は歓迎するんじゃねえか、なあ? それが、おれが考えてることだ」
「その球体は、どこにあるんだ?」
「はぁ……」
ファロドのため息は、流れる砂のようだ。
「なんでてめえに探させようとしてると思ってんだ、死体さんよお? どこにあるかは知らねえ。知ってるのは、そいつが深くに、村人が行ったこともねえ深さに埋まってるってことだけだ」
ファロドは舌を鳴らした。
「水が深く、深く流れる
「いいだろう……探してみよう。だが、そのささいなもので何が買えるのか、知っておきたい」
「大量の知識が、この
彼はしなびた指をかざした。
「その一つが、この豆知識だ。誰もが何かを
「分かった」
私は同意した。
「お前のためにその球体を探すことを、検討することにする……お前の知識と引き換えにな」
罠にかかったように感じた。私について何か知っていたとしても、「ちょっとしたもの」を持ち帰ったときに彼がそれを話すかどうかは、祈るしかない。
「いいぞ、決まりだ、契約成立だ……」
ファロドは松葉杖で敷石を鋭く突いた。
「おれの
まだ質問がある。突然追い出そうとしてきたファロドは無視した。
「ファロドという名前の男の物語を、聞いたことがある。〈ぼろきれの王〉のことを」
ファロドの左目が広がった。彼がそうしたのか、たまたま皮膚のひだがめくれたのかは分からないが。
「そうか? シギルは物語の山だろう。だがファロド様が含まれたもんは、耳に入れたくねえわけがねえな」
彼は疑うふりをし、そしてニヤリと笑った。
「語り部にもなれるってか、死体さんよお?」
「奇妙な物語だ。地位と富とすべてを持つ男が、何も持っていないと気づく物語だ」
ファロドの笑みが凍りつき、その瞳が奇妙にぎらつく光を帯びた。
「本当に、その物語を語りてえのか? てめえはその結末が、気に入らねえんじゃねえか、あぁん?」
言外の脅しは無視した。
「男は嘘つきでペテン師で、自ら窮地に陥った。死が訪れたときに、恐ろしい場所へ行くだろうと気づいたのだ」
ファロドの笑みが消え、彼は唇をなめた。それは……怯えているように見えた。
「彼はその運命を避けると決心した。抜け出す方法を、必死に探した。他人を騙したように、運命をも騙すのだ」
何か不快なものを呑みこんだかのように、ファロドの顔がゆがんだ。
「彼は答えを見つけた……あるいは、答えを探すべき場所を。運命から逃れるために、シギルのごみの中を探すよう言われたのだ。そして今、ファロドは……おそらくお前は、この物語の終わりを語れるだろう」
ファロドがうなり声を上げた。
「終わりなんかじゃねえッ! おれにとってはな!」
私は彼の顔に血が上るのを見ていた。
「さあ、てめえのための物語があるぜ!」
ファロドの指が私を指し、羊飼いの杖のように曲がった。
「死体が悪臭と約束をたずさえて、ファロドの宮廷にやって来て、ファロドが必要とするもんを見つけられると言いやがる。だが、そいつは約束を守るのか? 約束ってのは、簡単に破られるんだぜ、死体さんよお! 否定するか?! それならてめえは嘘をついたことになる、そんでおれは、そのせいで
「ファロド、私は球体を探す。そして見つけたら持ってくる。約束は破られてなどいない」
「他人の死につながる嘘ってのは、一番邪悪な行為だぜ……」
ファロドは松葉杖を叩き、わずかにゼーゼーと息を切らす。
「約束は守るべきだぜ、死体さんよお、さもなきゃ粉屋の車輪みてえに、てめえをすり潰す」
立ち去る前にファロドに答えて欲しい質問がもう一つあったが、すでに彼が何と答えるかは想像ができていた。
「お前は豊富な死体を見つけたと聞いた。どこから来たものなんだ?」
「魔道士が技巧の秘密を教えると思うか? それは収集家も変わらねえ……」
ファロドは眉をひそめ、私を見定めた。
「だが、教えてやらねえこともねえ……口外しねえと約束するならな」
「聞いたことは、口外しない」ファロドがまだ生きているうちは、という条件は言わずに、そう誓った。彼の寿命は、長くはないだろう。
「いいだろう……」
ファロドは松葉杖で敷石を叩き、冷笑した。
「〈くず拾い街〉の下に埋まってんのは、この村だけじゃあねえ」
「小部屋、地下室、回廊……」
ファロドはかすかに微笑み、瞳を黄金のように光らせた。
「コールタールみてえに黒い場所に、むせび泣く石と貴重な死体があふれてんだ。みんな棺で眠ってる。眠ってる……」
「その死体は、一体どこから?」
ファロドは私にいびつな視線を向けた。
「死体、死体……みんな死んでる。人生は短けえ、だが死は長く、長く続くんだ。大量の人、大量の死……」
彼の視線が、私を通り過ぎた。
「そんな死体が、無益に
ファロドは貪欲に微笑んだ。
「〈葬儀場〉の門に向かった死体は、ぜんぶが炉にくべられるわけじゃねえんだ。
「お前は
ファロドはうなずき、静かに笑った——その笑い声は、流砂のようだ。
「その
「そして、とある男の欲望と同じくらい深いんだな」
「ああ、そうだぜ……」
ファロドがせせら笑う。
「そして何もねえときに頼りになんのは、いつだってそんな欲望だ。そうだろう?」
私はまだ〈埋ずもれた村〉の
「まあ、ひとつ話があるぜ……」
ファロドは再び唇をなめ、肩をすくめた。
「だがまあ実は、退屈な話だ。要するに? ある日〈
「どういう意味だ?」
「〈
私はうなずき、彼は続けた。
「まあ、
ファロドは微笑んだ。
「ひでえ話だろ? シギルの一部が、完全に忘れ去られるなんてな」
「どうやって見つけたんだ?」
ファロドは舌を鳴らした。
「おれにはまだ眼がある、まだ耳がある。その二つを組み合わせるセンスがありゃあ、どんな
私にとって一番重要なこと以外の好奇心を満たし、ファロドを薄暗い部屋に残して立ち去った。マルタが小屋で眠らせてくれると知り、今夜は〈埋ずもれた村〉で過ごすことにした。ファロドの依頼は、明日から始めればいいだろう。死というのは、半日で治るようなものではないのだ。